部活、何部だった? ブログネタ:部活、何部だった? 参加中



中学の時は部活じゃなくってクラブ活動といって、一年毎に変わっていました。
「音楽鑑賞部」「手芸部」「オセロ部」という、ものすごくやる気のないクラブ
音楽鑑賞部は、ひたすらレコード聴いているだけ。クラシックじゃなくて、ビートルズとか「小さな恋のメロディ」みたいな映画音楽とかだったのは、先生の趣味だったのでしょう。
手芸部では、ハマナカ手芸糸を使った手提げかごとか、ぬいぐるみとか作っていました。
オセロ部では、何故かオセロをしないで百人一首していました。オセロは上手くならなかったけれど、百人一首は後日、大会に出ましたよ。

高校生になって、ちゃんとした部活を選ばないといけなくなり、当然ながら体育会系とは全く縁のない私は、
「実は絵も好きなんです」ということで、美術部美術に入りました。
正確に言うと絵が好きというより、漫画が好きだったんですが。
鈴木光明「少女マンガ入門」なる本に「漫画家になりたかったら、1日1コマ描きましょう」とか書いてあって、描いていました、毎日。
自宅にGペンとか丸ペンとか墨汁とかありました。カラス口が欲しかったけれど高くて買えない泣みたいな少女時代。今でも世界堂の漫画用具のコーナーに行くと甘酸っぱい気持ちになります。

で、部活の話でしたね。
高校生にもなると本格的で、美術部らしくデッサン、油、水彩、七宝焼きと、いろいろやらせてもらって楽しかったですにこにこ
オタクな仲間が集まっていて、漫画やアニメの話ばっかりしていました。
ガンダム(もちろんファースト・笑)ファンが多く、部室の中を「アニメージュ」とか「アウト」とかの雑誌が廻っていました。
顧問のK先生は、自身も二科展に出品する絵を描いていて、あまりうるさいことは言わず、好き勝ってさせてくれていました。文化祭で発表する絵も「何でもいい」ということだったので、私と友人たちはイラストを描きました。
もちろん真面目に静物画、風景画を描いて出す子も大勢いましたが、私は適当なグループに所属していたので。

何を考えていたのか(たぶん何も考えていなかった)オリジナルの絵ではなく、青池保子先生の某漫画E少佐を描いて、それが廊下の一角に貼られたところ、よそのクラスの知らない子が訪ねて来て「同じものを描いてほしい」と頼まれたことも、ちょっとビミョーな思い出です。

大学では漫研に入ったにもかかわらず、その活動はいつの間にやら「宝塚歌劇を愛する会」になっていましたよね(笑)
こうして振り返ると青春時代、本当に、根性とか汗とか涙とかに縁のない生活でした。
生まれ変わっても「また自分がいい」と公言してはばからない私ですが、もう一度高校生活をおくるなら、
体育会系部活のマネージャーとかやってみたいですラブラブ
「スラムダンク」とか「ルーキーズ」みたいなキャッ


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