前回記事からの続きです。
無事なんとか滑り止めで地域内の公立高校へ入学できました。
が、やはりここでも同級生にエホバの証人がおり、相互監視は続くのです。
ただ、要領よく二重生活を送りながら鞭打たれながら、学校では若干不良的ではありながらも何とか中学とは違った環境で過ごすことができました。
とはいえ中学よりも武道など信仰に関係するものについては相変わらず拒否しないといけない教えを守ることを強要されているため従わざるを得ないところでは変な目で見られました。
女子からは変な宗教でやってる危ない奴的な目で見られるし、男子からも何度かJWゆえにリンチにあったこともあります。
もちろん集会の日に帰りが遅いと鞭のときもあれば、家に数時間入れてもらえないことも多々ありました。
(行くアテもなく夜に公園のベンチにいると見回りのお巡りに声をかけられたこともあったな...)
そんな私も、前の記事でも書いた通り幼少を海外で過ごしたという変わった経験から、特段喋れたわけでも何でもないですが、英語の成績だけは誰にも負けたくはないという自負があり、中間/期末試験では常に学年トップ5には入っていました。
また、理科においては実験などでの段取りや片付けなどを当時担任でもあった先生に褒められたこともあり、さらに褒められたいためもあり頑張った記憶があります。
その結果、大学への進学率が1%切ってる高校でしたが、担任は大学受験を勧めてくれました。
余談ですが、私の兄もJWゆえに高校受験の際に武道禁止という教理ゆえに浪人してます。
受かった高校がたまたま大学附属かつ柔道で全国大会常連でした。入学の際にエホバの証人ゆえ武道できない証言をし母親まで出てきて結局退学し浪人しました。いまでも誇りに思ってるんでしょうね...痛々しいですが。
この時はさすがに父親もキレてましたが、本当に家族思いな父だったので、そのときは父親自らが家出し、数週間したら帰ってきて生活費入れたり着替え持って行ったりなどをして、家族は家で過ごせるような配慮をしてました。
母親はそんな状態のときにも「信仰が試されているのよ、ここはエホバに祈って耐えるのよ」でした...
基本JWの教理や信仰について一切口を挟まない父でしたが、進路に関しては頑なに「大学へいけ」でした。
今思うと、大学卒業さえすれば、その後どんな人生を選択しようが履歴書に残り助けになる、という父親の子供に対する最大の愛だったと今でも思ってます。
母親もさすがにその強固な方針に従うようでした(長老には相談していたそうですが...)。
結論からすると、一浪して大学へ入ることができました。
一浪しているときは、母親からは勉強と真理をちゃんと両立しなさい、といい時々鞭を打たれたりもしましたが、大学を目指す予備校の浪人生たちや現役高校生たちと張り合って合格しなければならないという明確な目標ができたことで、だいぶ人間らしさが出てきたと思います。
またおかげでJW集会においても、大学受験生という立場なので賛同者もいないことから逆に強要が少ない分ラクになりました。
ただ、壇上から高等教育は良くないことについての話になると、かなりの確率で話し手がこちらを睨みつけて「お前だよお前!」と圧をかけてきてたのはよく覚えてます。
母親とは「大学進学は補助開拓をやることをやることが条件だからね!」と言われていましたが、そこは二重生活をうまくやってきたので、その場だけは母親が満足する返答や態度で乗り切りました。
こうしてなんとか高校を卒業でき、浪人を経て大学へとなりました。
次の記事へ続きます。
こうやってブログ改めて書いていますと、高校の途中までは書いててもまた泣けてきてしまうくらいエホバの証人として望まない人生を強いられたんだなぁと感じてます。
もっと悲惨な過去を送られた方にすればまだまだ甘いと思いますが、同じようなことを経験し、今もなおその呪縛に囚われている(忌避含め)方にとってみれば、程度はあるにしても、親や周りがエホバの証人と関わりさえしなければ経験せずに済んだことです。
関わることで無責任な教理や命令を強要・虐待して子供含めた明るい将来を潰す、時には死に至らせる、従わなければ排除(排斥)し忌避するような教えを強要するエホバの証人の実態を1日でも早く広く明るみに出して、しっかり清算してもらいたいものです。