続きです。

 

翌日の23:00

 

病院から連絡が入りました。

 

「危険な状態なので、特別室に移動しました 」と。

 

すぐに自転車で駆けつけようとすると、タイヤの空気が抜けてました。

空気入れで入れるとプシューと後輪のタイヤの空気が抜けてしまいました。

暗がりで格闘中に親指にケガをして血が流れてきました。

もう!こんな時に!と家に戻ってバンソコ貼って

後輪ペチャンコのままガタガタの自転車で爆走しました。

 

 

到着したら母は息苦しいながらも意識があり、話をすることもできました。

 

 

看護師さんから「ご家族さん泊まられますか?」と

 

もちろんです!と答えると

 

 

応接セットのソファーの背を倒して、簡易ベッドにして

寝具の用意をしてくれました。

 

さすが特別室…感謝!😭

 

 

そこから端折りますが、その後 なんと母と一緒に10日間も寝泊まりする事が出来たのです。今日か明日かと気を揉みながらも、毎日 母の介助と会話ができて、最期を看取ることができました。

 

 

本当に感謝です😭

 

 

母の死を想うたび、あらゆる計らいに感謝が湧いてきます。

 

 

本当は、事細かくこの10日間の心の内面を記しておきたいと思っていたのですが、

もう いいかな   と思いこれで終わりにします。

 

 

 

ありがとうございました