イリアンと路子ちゃんとはしょっちゅうヨーロッパと日本で会話するようになって、
4年くらいでしょうか。
特に当時は、何もかも新鮮で、毎回新たな価値観に驚き、
栄養のようなエッセンスになる言葉をたくさんもらって、
生き返るような感覚でした。
その頃の話です。
相手にどう思われるか、とても気にしている人たちに対して、話してくれた言葉です。
「自分がどんなに努力して、こう思ってもらいたい、と願っても、
受け取ってくれる人は受け取ってくれるし、そうでない人もいる。
だから、君が悩んでも願っても、それはあまり意味はないよ。
そういうものなんだ」と。
彼らに本番についても、聞いたことがあります。
オーケストラや指揮者と、大きな舞台でソロ演奏するなんて、緊張しないの?と。
「イヤな緊張はしないよ。集中してはいるけれど。
終わったら、それまで。振り返りはしないね。ただ音楽を演奏するだけだ。
そのことと、聴衆がどのように受け取るかは切り離されなければならない。
どう受け取るかは、聴衆にゆだねるべきだ」
これには、ハッとさせられました。
自分は今までどうだったろう、振り返った時、
真剣に音楽をやっているつもりが、
だんだん、こう伝わってほしい、こう見られたい(見られたくない)と
外に意識が向いていたことに気づきました。
冒頭の話、他人の目を気にして悩んでも意味がないよ、という話と、
音楽をどう受け取ってもらうのかではなく、聴衆にゆだねるべき、
よくよく考えてみたら、この2つの話は同じ問題が含まれていたことに気づきます。
どんなに願っても、努力しても、
こちらの意図しない受け取り方されることなんてよくあることだなあと。
気にしすぎると、合わせてばかりで、自分の本当にやりたいことが見えなくなる。
音楽も全くおなじなんだと。
どちらも、外側ばかりに気持ちが向かい、自分自身が勝手に作り上げている妄想や不安。
コントロールできるはずのない外側のことばかり気にしてしまっている。
外にばかり気持ちがいってしまうと、だんだん軸がずれてきて、中は空洞化していきます。
他人の目(外)を気にして、自分(中)がわからなくなってしまうことと同じように、
聴衆のこと(外)に気が向き始めると、
音楽家にとって一番大事な音楽(中)が抜け落ちていくことになります。
基本的にクラシック音楽では、すでに存在する偉大な音楽家の楽譜を紐解いていく作業をしています。
まず「音楽」がそこにある、ということが大前提です。
もちろん、「自分」は何をさておいても、最も大事です。
ですが、音楽を前にした時、私達はその使い手であるだけです。
なるほど、彼等は、常にその音楽主体(音楽軸)でいる。
だから、必要以上に周りの目を気にすることがないんだ、とわかりました。
自分の演奏は振り替えらない、と言っても、
信頼する先生や信頼するごく一部の仲間の感想は聞きたいようです。
だからといって、それが緊張に変わり過ぎたり、
反省したり、落ち込み過ぎたりすることはありません。
ステージの演出に凝ったりすることもなく、
音楽主体(音楽軸)がブレることは一切ありません。
あなたのプリンシパル、大事にしたい内側何ですか?
自分の大事な内側が何かを自覚し、
誤解を恐れず、人の目を気にしすぎることなく、堂々と自然体でいられること。
そのことで、私は世界が一変しました。いや、本当です。
信念を貫いている人は、かっこいい。尊敬できる。信頼できる。
そういう人に出会えた人はラッキーです。
みんなが出会えるセンサーをもっていて、タイミングをつかめるとは限らないからです。
私は本当にラッキー。とんでもなく、ラッキー中のラッキー。
ぼくたちの軸は、ごはんとすいみんじくです。
今回の話に出てきた、音楽をするには自分主体(自分軸)と音楽主体(音楽軸)が存在しているというお話。
Junkoちゃんのせきらら体験!
ぜひ読んでみてくださいね。何か感じることがある人も多いと思います。
ありのまま、本音を発信出来る彼女を尊敬します。
同じ志を持つ彼女と一緒にIMAで関われることは、とても心強いです。
音楽の真実、声楽の真実がわかるIMA声のメカニズム講師、路子ちゃんのブログ。
IMA PIANOでは、広い意味でのソルフェージュ力を育みながら、
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