若かりし頃、「占い依存」になっていた時期あった。

今日は、そんな恥ずかしい昔のお話。

苦しい恋愛のことだったり、行き詰った仕事のことだったり。

同じ占い師さんの元を何度も訪ねていたこともある。

 

まだネットも携帯もない頃で、仕事が終わるとわざわざ電車に乗って、

占いの館まで出向いていく。

 

行くのはいつもの占い館だったり、雑誌広告を見たりして新規開拓もした。

そういう行動力はあるのだ。

 

バブル景気の怪しさ漂う空気がまだ残っていて、週末の街はいつも人で溢れ返っていた。そんな中を人ごみに逆らうように歩いて、占い館には何度も通った。

運, シンボル, 神秘, 超常現象, スピリチュアリティ, 象徴主義, 予測

 

ある日初めて看板を見つけたタロット占いの店は、お洒落なカフェの一角にあった。

 

彼とは今後どうなりますか?

 

占い師の女性がタロットを混ぜる。 

カードの意味など分からずとも、重苦しい黒っぽいカードがスタスタと並んだ。

いい流れなどこれっぽちも感じられない。

 

占いなどしなくても、その人とうまくは行かないだろうことは明白だった。

うまくいかない理由だって、本当はわかっていたように思う。

「今」の先に未来があるのなら、答えは決まってる。

 

占い師さんは、カードから見える私たちのことを、結構ズバズバ言い当てた。

 

当たり過ぎて、なんだか腹が立ってきた。

「言われなくたって、そんなことわかってるし!」

わかっているけど苦しくて仕方ないから、答えを占いに求めてしまうんだもの。

 

ってまあ、黙ってしょんぼりと聞いていたのだけど。

カードをすべて読み切ってすっきりしたのか、その占い師さんはとても満足そうだった。どう?私の占い当たってるでしょ!

 

ドアを開けて店を出る時、ふと振り返って先ほどの占い師さんを見た。

すでにお店の人たちと楽しそうに談笑していた。

 

あぁそうか。

他人の悩みなど誰も興味はないという現実。

占いが当たっていても、他人に人生を決められたような不快感を抱くのであれば、

もうそれは占いの出番ではないのだ。

 

その日を境に、占いジプシーは卒業した。

悲しみのどん底は続いたが、納得できたのだと思う。

あの頃の私が必要としていたのは、たぶんカウンセリングだ。

 

もう一つ、今わかることがある。

 

その存在に一瞬だけ気が付く、「自分の運命は自分が握っている」という真実。

グダグダになっても、納得がいくまでやるっきゃないときもある。
 

占い師の先生、かげした真由子先生のブログを読んでいて思い出しました。

恥ずかしい私の黒歴史です。

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。