10年近く入り浸っていたX(Twitter)を消した


画面の向こうの趣味に打ち込む人達が眩しすぎて

みんな自分の趣味に全力で楽しそうで

何も打ち込む事もなく、飽き性の自分には見てるだけで辛かった。

本当に好きかもわからないコンテンツの楽しんでる人たちをただ惰性で眺めてるだけ

「自分はこれが好きなんだ」「趣味なんだから自分は楽しんでる」そう言い聞かせてた。


次第に自分の楽しい事がわからなくなってきた

使えるお金も限られていて、それを言い訳に「あれは無駄」「これは必要ない」「これは長い目で見れば必要」「これは自分の生活に有益」と欲しいものと必要なものの区別もつかなくなっていき

趣味に自分の楽しい事ではなく自分の益になる事のみを優先する様になった。酷くつまらない日々だった


趣きに合理を求める

何とも滑稽である

まさに「私のどこが好きなの?」に対して一から十まで理由を述べる男のようだ

ロマンも雰囲気もない

そりゃもう「つまらない」男である



趣きは合理ではない

好きに理由はいらない


それに気づいたのだ



では本当に好きな事はなにか?やりたい事はなにか?

誰の影響も受けず、誰の為でもなく、まっさらに自分の好きな事を楽しむ為には?


影響を受ける外界の情報の遮断

Xのアンインストール

である

余計なものを見なくなり他人と比べる事もなくなった

これは実に自分にとって精神的によくなった

しかしその反面こちらが思ってる事を書き出す事もできなくなった


元来色々な事を考えながら生きてる人間なので思い付いた事を伝えなくてもいいからどうにか自分で覚えておきたいと思い生きてる。まさにBUMP OF CHICKENの窓の中からの歌詞だ

その分Xはよかったのだが…


そこで思い出したのが10年以上前やっていた「ブログ」


ここまでの長文は日常から書かないので大変ではあるが思った事を吐き出せるのは中々に楽しい

まさに趣きがある


もし目について読んでしまった人には大変読みづらい駄文であると思いますが


これは人生に必要な心の余裕を見つける為に日々の自分で思った小さな事を誰に宛てた訳でもなく自分宛に綴る手紙のようなものである


すずのじ