ゼミのプレハロウィンは楽しかった



思えば自分は、
これでいて意外と享楽的なんじゃないか、
と 帰り道思う。

それはだって
凹むことはたくさん死ぬほどあるから、
その都度へこむ。

でも、それはそれとして
翌日にはもう違うこと考えてるし、普段何もないときは独りでダラダラしたり音楽聴いたりしてすごすのが大好きだったりする。



凹むこと、というのに対して日常的な努力ができない性質みたいだ。


もちろんこれには利点もある。

おおむね人生は楽しいだろうし
楽しいとまではいかなくとも生に対して肯定的だし

すくなくとも
四六時中全面的に病むってことはないだろう。



もちろん
ダラダラすごせる時間がとれる環境は大きい。

でも、実習中などを思い返してみても
なんとなく気分転換を図っていたことが多かったような気がする。



これは今日の
飲み会後の議論を少し聞いたことから考えたこと。



ただ、これでは進歩がない。

というか、

改善しなければならない点をどんどん先送りにしたり、見て見ぬふりをすることになっている悪弊そのものである。


病むだけではなく、享楽的に生きるのみでもない、それぞれを兼ね備えた人は、

やはり尊敬に値する人なのだろう。









話は変わり、今日の先生との卒論の話から。


レヴィナスの主張をまとめるのが主だった今回、

やはり先生の反応はいまいち芳しいものではなかった。



まず、内容面でいえば


Q、ハイデガーの思想(脱自や、頽落、存在の優位...)はなぜ疑問に思ったのに、

 レヴィナスの思想はすんなりと受け入れられたのか?

(「下に身を置く(イポスターズ)」は問題にしないのか?)


Q、私のイマージュを「絶えず破壊し、はみ出す」他者とは、人か?モノではないのか?

 モノははみ出さないとすれば、それはなぜか?

(人とモノの差異は、ここで明確にしておくべき)



そして、百歩譲ってレヴィナスの思想の全体像は理解できたとする。



Q、「…それで?」




これが最も切実な課題。


つまり、レヴィナス研究をするだけの卒論であるなら、

この方向でもっと掘り下げていけばそれなりのものは出来上がる。


でも、それがやりたいんじゃない。


あくまで自分の問題意識とどう絡めて、哲学者を使うのか。

そこのところが明確にできていない今の時点からは、

まだもう一歩踏み出せないと前に進まない。


そして、ここからが最も難所と思われるところ、峠だ。


自分の問題意識をどう研ぎ澄まし、文章という形に載せていくか。



そのためには、少し批判的な目からもレヴィナスを見てみることが必要なのではないか。

という先生の提案に従い、次の本に進んだ。



着実に歩はすすめているが、

12月までにどこまでできるか、


これからちょっと本当にペースを上げていかないといけない。



読むペース、まとめるペース、書くペース、議論のペース。





今を生きる。

古臭いかもしれないけど、しかし大切なことだ。


言い訳ばかりしないで、今をがんばる。

でないと、いつがんばる。