ひろしま
1953年 日本映画
制作 日教組
監督 関川秀雄(せきかわひでお)
脚本 八木保太郎(やぎやすたろう)
出演 岡田英次(おかだえいじ)
月丘夢路(つきおかゆめじ)
加藤嘉(かとうよし)
⚫︎あらすじ
広島にある高校で、みち子は白血病で倒れてしまう
戦後になって広島に赴任して来た担任の北川は、生徒たちと原爆症について話し合う
-回想-
1945年(昭和20年)8月6日、原爆が投下された。その日、米原先生は生徒たちと被爆し、焦土と化した広島をさまよい、力尽きてしまう
北川は「今まで原爆のことをちゃんと知ろうとしなかった」と謝罪する。
すると生徒たちから「原爆のことを世界の人に、もっと知ってほしい」との声があがる
映画「ひろしま」はYouTubeで見ることができます。世界中の人に見て欲しい映画です。
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⚫︎感想
広島にある教室には原爆を受けた人が3分の1ほどいました。
何となく体調がすぐれず調子が悪いことを皆んなに知って欲しい、せめて広島の人だけにでも、この苦しみを知って欲しいと訴えます。
なぜなら、広島の人でさえ原爆症の苦しみを知らない人たちが大勢いたからです。
そのため、何となく調子が悪い人を馬鹿にしたり、皮膚がケロイドの人を差別したりするようなことがあったようなのです。
原爆の回想シーンは酷いものでした
生きたまま家の下じきになって死ぬ人
焼けた手を前に垂らしながら歩く人
ヤケドで寒い寒いと震えている子ども
痛さと苦しさで殺してくれと叫ぶ人
広島は地獄です
ただ普通に広島で暮らしていただけの人たちが、突然、世界初の原子力爆弾を受けました。
日本の科学者たちが「これは原子力爆弾だ」と言っても、軍部は「公表は伏せておけ」と言います。しかも軍部は「信念があれば打ち勝つことができる」とも言います。
「信念さえあれば」って言う精神論的な考えがあったのかもしれませんが、原子力爆弾に対しては無力すぎます。
ただ一つだけ希望があったことは、原爆のあと70年間は、広島に草も生えないと言われていたんです。
ですが人々が祈るようにして大根を植えると、芽が出て広島の人たちは希望を持ちます。
原爆で親が居なくなった子供たちは
ユー ジェントルマン
パパママ ピカドンで
ハングリー ハングリー
という英語でアメリカ兵から食べ物をもらって生き延びようとします。
原爆のモニュメントが建てられたあとは、子どもたちは広島を訪れた人たちに被爆した家の瓦などを土産物として売ったりしていました。
その子たちに「もっと売れる物を教えてやる」と言って防空壕で死んだ被爆者の頭蓋骨を売り物にしようともするんです。
原爆は悲惨です。原爆の落ちたあとも、ずっとずっと痛みと苦しみが続くんです。
だから絶対に原爆は使ってはいけません!
この映画は世界中の人が定期的に見るといいと強く思います。
⚫︎頭蓋骨の土産物
原爆投下直後の広島では、多数の遺体が放置され遺骨となり、学術的な興味や戦争の悲惨さを伝える目的などで遺骨や遺品が扱われた例もあったそうです。
また、一部の報道では、原爆直後、広島市周辺で発見された頭蓋骨などが「土産品」とされた事例が存在したとされていますが、これは特殊な事例であり、公式に記録されたものではないそうです。
生きていくために頭蓋骨を土産物にする…。
公式には記録されてないだけで、映画になっているんだからあったのかもしれないと感じました。
⚫︎ 少年の島 似島学園(にのしまがくえん)
終戦後の広島は、原爆の被害や戦争の混乱により、多くの戦災孤児や浮浪児が街にあふれました。そうした子どもたちを保護し、教育や職業訓練を行うために設けられたのがこの島に建てられた施設です。
実際、似島にはピカ(原爆)で死んだ人の骨が多数埋まっていたそうです。似島で亡くなった人を焼却することが間に合わず、そのまま埋めるしかなかったそうです。
映画で見ると厳島神社のある宮島に似ていますが、似島はもっと爆心地近くにある島で、子供たちは似島から泳いで逃げようとしたり、近くを通る漁船に乗せてもらったりして脱走したりしたそうです。
⚫︎僕らはごめんだ
ドイツ知識人たちはこう思っている。広島と長崎では非武装の何の罪もない日本人が新兵器のモルモット実験に使われてしまったのだ。それは日本人が有色人種だから…
ナチスの毒ガスがハーグの国際条約違反だとか、神と人道への叛逆だとか言って騒いだ国が、原子力爆弾を使った。
篠原正瑛(しのはらせいえい)の本『僕らはごめんだ―東西ドイツの青年からの手紙』は、著者が戦後ドイツ(東西ドイツ)の青年たちと交わした手紙をまとめたもので、ドイツの若者たちが原爆投下や戦争、そして人種問題について率直に語る内容となっています。
本書では、「日本人は有色人種だから原爆を落とされたのではないか」といった率直で時に鋭い意見や、戦後の状況の中で青年たちが感じている「戦争に巻き込まれるのはごめんだ」という思いが綴られています。
全体として、広島・長崎の被爆、日本人への差別観、戦争に対する拒絶、平和への願いなどが、異なる立場の若者たちの視点で真正面から語られ、戦後社会の本質的な問題提起がなされているのが特徴です。
⚫︎ 被爆者が手を前に出して歩く
被爆してヤケドした人は、みんな手を前に出して歩いていました。
原爆の熱線で重度のヤケドを負うと、皮膚が壊死し、体から垂れ下がります。
直接熱線を浴びた手は皮膚がズルズルと剥け、体や服に触れると激痛が走るため、自然に腕を前方に離して持ち上げる姿勢になります。
証言:「皮膚が手から垂れ下がって、まるで手袋をぶら下げているようだった。触ると痛いので、皆、腕を前に出して、ゾンビのように歩いていた」


