パッチギ
2005年 日本映画
監督 井筒和幸
脚本 井筒和幸
出演 塩谷瞬
沢尻エリカ
高岡蒼佑
パッチギとは朝鮮語で頭突きのこと。1968年の日本で暮らす朝鮮人たちの苦悩と文化を知ることのできる映画です。
⚫︎あらすじ
ある日、平凡な高校生・松山康介は、学校の教師に頼まれ、在日朝鮮人学校とサッカーの試合で交流を持つように言われます
最初は戸惑いながらも、康介は朝鮮高校の美少女リ・キョンジャに一目惚れし、彼女に会うために朝鮮高校を訪れるようになります
しかし、当時の日本社会では在日コリアンに対する差別や偏見が根強く、康介の学校と朝鮮高校の生徒たちはしばしば激しく対立していました
康介も最初は偏見を持っていましたが、キョンジャやその兄アンソンらと接するうちに、彼らの誇りや苦悩を知り、次第に理解を深めていきます
一方、アンソンは日本人との衝突や暴力に悩まされながらも、朝鮮人としての誇りを守ろうと必死に生きています
そんな中、康介とキョンジャの淡い恋も少しずつ進展していきますが、ふたりの関係には民族や家族の壁が立ちはだかります
やがて暴力事件や家族の問題が起こり、登場人物たちはそれぞれの立場で悩み、成長していきます
異なる背景を持ちながらも、若者たちはぶつかり合いながら絆を築き、希望を見いだしていこうとするのでした
真木よう子さん、江口のりこさんの女子高生も
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⚫︎感想
パッチギ面白い、井筒監督さすがです!
日本で暮らす朝鮮人たちの生活や苦悩を知ることができます。映画の中では無理やり日本に連れて来られた朝鮮人たちの思いや、やり場の無い怒りも描かれていました。
日本の男子高校生が、朝鮮学校に通う美しい女子生徒に一目惚れするという内容です。
ただその中に、1968年の京都がどんな感じだったかがリアルに描かれていました。
グループサウンズの“オックス”に熱狂して失神する女性たち、映画館では猿の惑星が上映され、マジソンバックを持った康介たちは頭をオックスのヘアスタイルにしてスワンの涙を歌っています。
修学旅行から京都に帰って来た生徒が、朝鮮人の女子高生をおちょくったことで、朝鮮高校の生徒たちが集団で暴行をして、日本人の学生が乗るバスを横倒しにしてしまいます。
この頃の朝鮮人が一番血気盛んだったんじゃないでしょうか?
そしてそれと同時に、この頃とこの少し前の日本人が朝鮮人にしたことが一番酷かったのかもしれません。
⚫︎年配の朝鮮人の話し
日本は出て行け言う 韓国は帰らせるな言う
お前 淀川のシジミ食ったことあるか
土手の野草食ったことあるか
ウリナラ(朝鮮)で田植えしとったら
トラック放り込まれたんよ
ハルモニ(祖母)泣いとった
ワシらは釜山から連れてこられた
生駒トンネル誰が掘ったか知っとるか
国会議事堂の大理石どっから持ってきて
誰が積み上げたか知ってるか
ひとっつも知らん日本人のガキは出てけ
日本人食べ残した豚のエサ盗み食いして
日本のヤクザにドツかれて足曲がっとる
「勝手に連れて来て勝手なこと言って」と思っているんでしょうねぇ…
⚫︎日本による朝鮮半島統治
1910〜1945年まで日本は朝鮮を植民地にしました。最初のうちは朝鮮人たちは出稼ぎで日本にやって来ていました。しかし日本の戦況が悪化してくると、本人の意思に関係なく日本へ送られ、鉱山や軍事工場で過酷な労働を強いられました。
1945年日本が敗戦すると、200万人の朝鮮人のうち140万人は帰国しましたが、60万人が日本に残留しました。
残留の原因は、帰る手段が無い、朝鮮が戦争状態、生活の基盤が既に日本になっていた、などの理由があったそうです。
⚫︎パチンコ屋かロバのパン屋か
朝鮮人のセリフです。仕事がパチンコ屋か、ロバのパン屋ぐらいしか無いような話しをしていました。
在日朝鮮人は日本で差別を受け、資格が無くてもはじめられるパチンコ屋、焼肉屋、ロバのパン屋(ロバが屋台を引くパン屋)など、限られた職業に就くしかなかったようです。
⚫︎パッチギの学校は北朝鮮系
“朝鮮人民の敬愛する金日成首領様万歳!”
という文字が学校に書かれていました。一般的に朝鮮学校と言うのは北朝鮮の学校です。
日本に朝鮮半島を占拠された朝鮮人たちは、日本が敗戦で居なくなると、今度は北(ソ連)と南(米国)に分断させられてしまいました。
その際に日本で暮らす朝鮮人たちも北か南かを選択させられたのです。北を支持した朝鮮人は朝鮮総連という団体を作り、南を支持した朝鮮人は民団という団体を作り、お互いに対立しました。ただ、在日朝鮮人たちは特に政治的な意識もなく別れさせられていた人が多かったようです。
おもに日本の学生と対立していたのは北朝鮮系の学生なんですね。韓国系の学生とモメたことはあまり無いようです。
しかし慰安婦像を建てているのは韓国系の一部の人たちです。北朝鮮は個人的思想は訴えてはいけないため、慰安婦像は建てないそうです。
朝鮮総連は、在日本朝鮮人総聯合会(ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい)の略称で、民団は在日本大韓民国民団(ざいにほんだいかんみんこくみんだん)の略称です。
⚫︎1968年、京大全共斗総会
全共闘(ぜんきょうとう)とは、1960年代の終わりごろ、日本中の大学で起こった学生運動のひとつで、正式には全学共闘会議(ぜんがくきょうとうかいぎ)のことを指します。
もとは東大医学部インターン制度問題です。東大医学生は大学病院で無給で働かされていたため抗議しました。それを大学教授たちが強い圧力で阻止しようとしました。そしてこの運動は全国的に広がりました。
大学や社会に不満を持った学生たちが、学部や組織の枠をこえて団結し、いっしょに声をあげよう!」とした運動です。
この運動は、多くのものを社会に残しました。「大学や社会への問題提起」「デモや集会など市民が立ち上がり声を上げる文化」「物事を自分の頭で考える姿勢」など。そのため全共闘の学生たちは後に作家、学者、政治家などになりました。
1968〜1969年って日本でフランス革命みたいなことが起きたんですね。この年は世界的に学生運動が広がり、アメリカではヒッピーが、日本ではフォークが流行ったんですね。
しかし全共闘の中には過激な派閥が生まれてきて、赤軍派などは浅間山荘事件や、ヨド号ハイジャック事件などを起こしました。
そんな激動の時代に大学生だった人は、現在の2025年には75歳〜79歳の人だそうです。その世代の人は、反体制・反権力・平和主義・差別反対といったテーマが核になっていることが多く、1952年生まれの井筒監督も全共闘世代です。フォークシンガーでは1948年生まれの泉谷しげる、井上陽水などがいます。フォークルこと、ザ・フォーク・クルセダーズはこの頃、北朝鮮のイムジン河を歌って発禁になったそうです。
今まで黙っていた日本人も、1968年ついに声を上げたんです。1960〜70年代に流行ったフォークは若者たちの社会や戦争に対する叫びだったんですね…
しかしその後の日本は調和が重視され、声を上げるヤツは異物で空気の読めないヤツ、という雰囲気にだんだんとなっていったようです。


