まなです
私の近況ですが
先日、所属してたサークルの舞台に携わらせてもらいました
大2のとき、
他大の、しかも出来て2ヶ月目のミュージカルサークルに乗り込み、
未経験者が大半で、
練習場所も人数もままならない中で作品を作ってました。
数えきれないほど恥をかいたし、
存続させるのに限界も感じてた時期もあったけど、
好きな皆で歌うこと、踊ること自体が本当に楽しくて、
運良く後輩も入ってきてくれて、
今や数100倍レベルアップしたサークルになって感慨深いです。
私たちがやったのは
0→1(いやもはや0.5と言った方がいい)で、
それを何倍にも広げてくれているのは後輩だというのは重々承知の上で、自己満老害的発言をすると、
「後ろ指を差されることもあったけど、
0に戻さなくてよかった。自分たちの手で潰さなくてよかった。
後輩は皆本当に才能があるからどこでも輝けると思うけど、
輝ける場の選択肢を増やせたのかもしれない。」
と彼らの舞台を見る度に思ってしまいます。限りなく自己満だけどね
ちなみに演目が「モーツァルト」っていう作品だったんだけど
幼少期に「神童」と呼ばれ、周囲に期待されすぎたのとは対照に、
大人になるにつれて
幼少期の自分(=絵に描いたような天才像、良い子像、周囲の期待の象徴)から逸れれば逸れるほど
周囲の関心を失い、
自由を求めるが故に家族やパトロンと対立して居場所を失い、
好きな生き方をしてるはずなのに自分を愛せなくなって追い詰められていく、
モーツァルトの半生を描いたストーリーでした(モーツァルトって神童、絵に描いた天才のイメージだったので、ファンキーな性格と知ってびっくりした。)
自分にはモーツァルトほどの才能はもちろんないから共感なんて言うと畏れ多いけど
他人軸から自由になりたいという彼の精神や、
「このままの僕を愛してほしい」っていう歌詞が
刺さりすぎて、気づいたら泣いてました(もちろんメロディが好きなのと演者の子が上手いからってのもある)。
こんなに心が揺さぶられるってことは
「このままの自分を愛してほしい」ってのが
私の心の叫びなんだろうな、
もっと丁寧に自分を愛して、
自分を表現することを許可していきたいな、
と思いました
ベストなタイミングで観れて良かったです。
今年東宝がモーツァルトやってくれるから絶対チケット勝ち取ります。皆さん、お願いなので私の分を取らないでください!(冗談失礼しましたァ!)
あとミュージカル関連でもうひとつトピックがあるので、お付き合いいただけると嬉しいです
昨年abocadoさんのセッションを受けて、
やっぱり何かしらの形で表現を続けようと思い、
「歌いたい!踊りたい!また舞台で輝きたい!」という気持ちがまだあったので
歌を習ったり、ダンスの作品に出演したりしました
でも何故か、練習に行く腰が重かったり
練習しなきゃいけないとわかってるけど避けたり
どうしてもレッスンをサボりたくなったりしてしまい
「好きなはずなのになんでだ!」
「男性性低すぎん?」
と自分を責めたりもしました
ですが本当に音楽が好きな人を観察してると、
もう暇さえあれば気づいたら練習してるじゃないですか。
それを見てると、
「あれ、もしかしたら自分にはそもそも、
音楽に対してそこまでの愛がないんじゃないかな」という仮説が立ちました
ピアノもミュージカルも好きだけど、
思い返せば
「高いお月謝を払ってもらってるんだから上手くならなきゃ」「認められたい、注目されたい、褒められたいから出番増やせるように頑張ろう」みたいな思いが積み重なって
💔人より突出した特技があってこそ私だ
💔文武両道でないと自分には価値がない
💔何事も全力で打ち込んで得意なことを作り、替えの効かない存在にならなければいけない
という思い込みがあったことに気づきました。
音楽を通しての表現をライフワークにすることを想像した時に抵抗があったのは
「自分には才能がないから」という否定からというよりむしろ
「芸術面でも才能がないと存在価値がない」
という思い込みがあったからで、
それを20年以上も抱えて私なりに必死に生きてきたんだなと気づいて
ショックはすごく大きいけど
思い込みが外れてスッキリしてます
音楽や踊りは、
お金で買えない一生ものの景色を見せてくれたし、
喧嘩の絶えない家庭にいた私にとっては本当に大事な拠り所でした。没頭することで嫌なことから目を背けられたからこそ今があると言えます
大好きだから、
これからも趣味では続けていきたいなと思います。
でもこれからは上手くならなくていい、
純粋に楽しめばいいと思うと心が軽いです
好きだけど苦しいことがある方にとって
何かヒントがあったら幸いです。
最後までお読みくださりありがとうございました皆さんに幸あれ