今日は母の四十九日法要。

朝のうちは雨模様でしたが、法要の2時間前くらいに雨が上がり、日差しも出て。


新潟の従妹に来てもらえるか聞いた時、たまたま都内に来ることが決まっている日の翌日だと言われてびっくりしました。

前乗り宿泊で来たかったけど、土曜の宿泊が取れず用事の後に宿泊予約をしていたそうで、翌日の帰り道にお寺に回ってくれることになりました。

用事がなくても来てくれたとは思いますが、前泊が取れていたり、都内の用事が1日2日ずれていたりしたら、行ったり来たりで大変だったところです。


四十九日も、ぴったり49日目は4月2日でしたが、お寺さんから1日はどうかと言われて決めた日。

たまたま来てもらいやすい日になって良かったです。


お寺は枝垂れ桜が名物で、毎年撮影や見物に来る人が多いですが、例年ならお彼岸の頃がピーク。

品種もエドヒガンザクラです。

それが、今年は開花の遅れで、満開の見頃に。




母はこの桜が大好きだったので、ここでも皆「持ってるね」と。

良いお日柄でした。



この桜、「将軍家光の枝垂れ桜」と札が立てられていて、樹齢からしても家光とどの程度の関係?と思っていましたが、法要の際、由来が出てきました。


天台宗のお寺ですが、先々代が修業したのが川越の喜多院。

徳川三代に色々なアドバイスをしたという、天海和尚のお寺です。

家光の治世の頃に川越の町を焼き尽くす火事があり、家光が喜多院の再建のために江戸城の建物の1部を移築したという話は知っていましたが、その際、枝垂れ桜も江戸城から移植されたそうです。

その桜のヒコバエを、先々代が修業を終えた時にもらってきて植えたんだそうです。


樹齢70年になるそうですが、本堂を今の場所に新築した30年前まではなかなか大きくならず、花も一度も咲かなかったそう。

新築の際、桜のすぐ近くにあった池を撤去したせいかもしれませんが、お寺では本堂ができて咲くようになったと思っているそうです。


喜多院の親の桜は枯死してしまったそうで、何回もこちらの桜の穂木を採っているとのことですが、なかなかつかないそう。

そう聞くと、ここで根を張って大きく育っているのも、簡単なことではないと思わされます。



法要の後は、母がいつも法事に使っていたお店で会席料理。

楽しい時間を過ごすことができました。