「グリーフケア」(死別などの悲嘆に寄り添う取組み)というのがあるそうです。


ペットロスなんかも。

亡くしたペットの後追いをされた方がいて、一時期解消法などもあちこちに掲載されていました。


私は3頭見送りましたが、最初の子の時は本当にキツくて、ひと月くらいは四六時中泣いてばかりいました。

エアロレッスンに行っても「先週お休みでしたね」と言われただけで涙がボーボーと出てきちゃうくらいで、頭の中はそのことでいっぱいで。


すぐに解消はできませんでしたが、泣きながらでも、まだ迎えて半年だったサブリナわんわんのお散歩は行かなきゃならなくて、出れば犬友とも話をするので、泣いても大丈夫な人達の前で泣きながら偲べたのが救いになったと思います。

悲しい時は泣くのが一番。

涙を流しただけ、心が癒やされます。

半年くらいしてようやく、「突然こみ上げる哀しみ」が間遠くなっていきました。


「グリーフケア」も悲痛な思いを吐露する機会が必要なんだそうです。

身近な人を喪った時こそ、なかなかそういう機会は無いのかも。

共感できる家族がいればともかく、「悲嘆に暮れる人」に寄り添える他人は少ないです。


私にとって母との心情的な別れは、意識が戻らないと言われた時だったと思います。

カラダは温かくてももう二度と目覚めないとわかってからは、本当に辛かった。

毎日病室を訪れては、面会時間中泣いてばかりでした。


あの時、私を救ってくれたと思うのは、母のお寺の住職さん。

お参りに行った時に母の現況を尋ねられて話しながら、それこそびしょびしょになるほど泣きました。

それでも、職業柄か穏やかに聞いてくれて、とりあえず心が救われる「答え」をくれました。

あれ以来、少しラクになったと思います。


お陰で、本当のお別れの時は落ち着いて見送れ、宗教者はすごいなと感じています。

葬儀そのものもグリーフケアの一環なのでしょうが、その場の「雇われ」ではなく、母をよく知り、偲んでくれる方に御経をあげてもらえたことも良かったと思います。


葬儀の意味を少し感じたし、仏式葬儀が廃れない理由の1つかも。

いずれは自分のことを含め事前に決めておきたいですが、やっぱりお世話になるのはあのお寺さんかなと思っています。



明日はお寺さんで四十九日法要。

こういった節目の行事もグリーフケアかと思うので、滞りなくできるよう、今日は準備の日。


昨日の夜の部へは、久々に1時間超え。

お天気が良くて、どこも渋滞していました。

今日は予定が詰まってるので、遠足エアロはお休みかな。