昨日も1通銀行から書留が来て、見えづらいのに夜間の書類書き。
昔は活字好きで、保険の契約書までちゃんと読んでいたのに、最近は眼もアタマも疲れます。
「配達記録」なので、今日中に郵便局に行ってこなければ。
税理士さんにリストアップされた書類も、おおかたは収集、記入して第1便は発送しましたが、困っているものが1つ。
母の略歴です。
出身地とか最終学歴とか職歴とか入院歴とか。
病歴は、心原性脳梗塞をする前は風邪ひとつひかない丈夫な人だったし、脳梗塞後は支援に入ったので、5日間の短期入院まで把握できています。
13年前の救急搬送からは用意された用紙には書ききれなくて、A4リポート用紙1枚になりました。
80代からこんなに入院を繰り返したかと、改めてびっくり。
しっかりしていた人が心身ともに一気に衰える入院。
改めて高齢者の入院は危険と思います。
一方、わからないのがそれ以外。
出身地なんて、ずっと新潟県だと思っていました。
市はどこかと原戸籍を確認したら…。
名古屋❓
そう言えば、旧制女学校は名古屋の親戚宅から通ったと聞いたことがあります。
でも、この数十年、「名古屋の親戚」との交流は一切ありません。
母の生育地はほぼ新潟県だと思いますが、生まれた場所が出身地?
旧制女学校の名前もわからない。
確か、卒業の時の記念品だったという塗りの小箱があったはず。
蓋の内側に金字で何か書いてあった記憶があり、母の家で探してみましたが、見つかりませんでした。
うちは子供の頃、母と弟がべったりだったので、私は間には入り込めない雰囲気でした。
子供心に疎外感すら感じていたほどで、小学生の頃から本の虫だったのは、たぶんそのせい。
父が当時は珍しかった「育メン」だったことが救いだったと思います。
母が倒れて、面倒みてもらっていた弟が手のひら返しに素っ気なくなってから、初めて母と近しく話すようになりました。
特に脳梗塞の直後は新しい記憶があやふやで、古い子供時代の話の方がするする引き出せて。
失語のリハビリもあって、毎日60〜70年も前の出来事を話してもらったものです。
なので、もう少し母のことを知っていると思っていました。
こんなに何も知らないなんて。
2便の発送時には一緒に送りたいけど。
「略歴」は絶対必要なものでも無いと思いますが、知らなすぎて情けない。