あんなに母の支援にどっぷりだった生活が突然終わり、1か月経ちました。
最後の病院に転院の際、意識の無い状態でも2年以上は生きられる人が多いと聞いて母も当然と思いこんでいたので、本当に唐突な別れでした。
なので、もっと喪失感でがっくりくるかと思っていましたが、意外にそうでもなくて。


母が脳梗塞で倒れてからだけでも13年。
その前に弟がくも膜下出血で左麻痺になり、母が引き取って面倒見始めたのが17、8年前で、母の家に週3支援に通い始めたのはその時期からです。

実親の介護を長くした実娘は、親を見送った途端に無力感に襲われたり体調を崩したりすると聞いていたので、こんなに変わらなくて薄情ですが、自分では、意識の無くなった時から8ヶ月かけてじっくりお別れさせてもらったように感じています。

本当に毎日泣いたのは去年の5月末から6月頃。
毎日病室を訪れて、私の選択や対応の何が間違っていたのか悩み、最後に母と会話した情景を何度も思い出して泣きました。
それが、お寺の住職さんと話したり、母との面会の都度、少しずつ受け入れられるように。
療養型病院に転院した頃は、体は温かくてももう母が戻っては来ないということを感じ、受け入れられていたと思います。
5月末の脳出血はまず助からないという状態だったので、それを乗り越えて8ヶ月以上も生きてくれたことは、私の心の準備のためのように感じています。
なので、母に感謝して心安らかに偲べたらいいかなと。


今月号の雑誌「ハルメク」で戸田恵子さんがインタビューに答えていました。
その中で、ご両親のことも。
お母様を70代で亡くされましたが、お父様は昨年末に92歳で亡くなられ、年を取っていく様をそばで見て寄り添うことができたそうです。
「父は亡くなった後すんなり私の中に入ってきた感じがして。いつもそばにいてくれるよな安心感があるんです。」
その感覚は私も同様で、私の状況を形容してくれているみたい。
私も、母がまだ居るような気持ちで人と話していることが多いです。


戸田さんも一人っ子で身内がいらっしゃらないそう。
全部自分1人でやらなければならず、手続きに追われたというのも同じ。
私は今、その真っ只中ですが、そんな諸々が終わった時に今度こそがっくり来るかもしれないし、やはり変わらないかもしれないし。

でも、できれば変わらず過ごしたい。
母はそれで良いと言うと思います。