木曜日に行った親のお寺さん。
母の家の近くなので、母の支援中はどうってこと無い距離でしたが、今後母の家を処分するようなことがあったら、一気に遠い場所になりそうです。
まして、クルマの運転しなくなったら。
電車の路線が違うし、お寺は駅からも離れているので、もう1日仕事になります。
同世代のブロガーさんの記事を読んでいると「墓じまい」の話題が時々出てきます。
うちも、自分達は樹木葬でも構わないくらいの気持ち。
子供がいないのだから、先々「無縁仏」になるのは間違いありません。
私の親にしても、もういい年の娘に子供がいなかったらわかりそうなものなのに、何で年忌法要の必要な霊廟にしたのかなと思います。
私ができなくなれば、親たちも「無縁仏」です。
親の家の近くのお寺さんでこの霊廟を建築中、当時親の世話になっていた弟が話を聞いてそこを買ったらと言ったそうです。
でも、弟にしたって独身で。
3人揃ってあと先考えない買い物だったと思います。
父が亡くなってしばらくは、日々散歩できていた頃の母にとって偲ぶ拠り所になったと思います。
今も毎朝愛犬の桜子連れて生花の手入れに来ていたことを住職さんに言われますが、それだって本人が脳梗塞で倒れるまでの3年ほどでした。
弟が亡くなった以降は、年に数回しか参らなかったと思います。
本来、お墓の祭祀は名字の同じ人がする仕事。
昔、娘の夫を養子にとか夫婦養子とかが普通にあったのは、そのためも大きかったと思います。
でも、これからはそれも難しい。
それこそ、付いてくる資産も相応に大きくないと、お墓の祭祀を引き継ぐメリットなんてありません。
何かにつけ、「あなたには迷惑かけない」が口癖だった母ですが、これもまた大きな問題。
一旦大枚はたいて買った霊廟、仕舞いたければまた大枚かかるんでしょう。
元気だった頃の母にはお参りする拠り所として霊廟が意味あるものだったと思いますが、先々考えるとアタマが痛くなります。
明日はうちの庭仕事の予定でしたが、施餓鬼法要があるのであちらの庭。
猛暑予報なんですけど😩