昨日、ジム友に老人ホーム入居のあれこれを話したせいか、母の在宅最後の時期を思い出して眠れず、色々考えました。
自分の親が高齢になったとき。
元気で変わらなくいてほしい思いが、親の変化を気づきにくくします。
身近ならなおさら、小さい変化を見逃しがち。
私も、週3会っていたのに気づかなかったあれこれがあります。
気づかなかったというより、異変の欠片は知っていても「誰でも普通にありがち」と見逃してた。
たぶん「異変」と思いたくなかったんだと思います。
去年の3月に母の家の壁面塗装の工事が入ったとき、作業途中の業者さんが挨拶もしないで帰ったと大騒ぎしたことがあって、メンタル面の衰えはあのあたりで始まったんじゃないかと、今は思います。
その日の作業が終わったら、毎日家人に挨拶して帰るはずとという思い込みがあって、母自身が作業をとうに終えた時刻まで外出していたことに思いが及ばなかった。
電話口でいくら言っても聞き分けがなく、ケアマネさんが行って話をしてくれました。
考えてみれば、その頃から物忘れが一気に増えて、私が行っても探しものばかりしているように。
他にも、お鍋を焦がしたり、家の鍵が見つからなくなってデイケア通所に遅れたり。
去年の冬のペースメーカー電池交換手術あたりからは健康面も悪くなってきて、これまでなかったような感染症に罹り、毎週のように小さな不調を訴えるようになりました。
ひとりで食べる朝夕食をちゃんと食べなくなって体力が落ち、免疫機能も衰えてきたんだと思います。
こういう小さな異変が頻繁に出てくると、その後の衰えは早いです。
私が気づかなくても、居宅のケアマネさんは早くから気づいたようです。
親身な人だったので、業務ではないにもかかわらず、入居型施設の見学や申込みを薦めてくれました。
まだ早いと思いながらも、何度も「一緒に行きましょう」と誘ってくれたので、5月に見学して、本格的な異変があらわになったのが6月末です。
6月に老人ホームの仮申込みをしたときは、まだ健康面の用心で「いざというときのため」でした。
それが、同じ月の末にはひとりにしておけないほどの緊急事態。
在宅最後の2週間は常の見守りが必要で、ワンオペ介護は既に破綻状態でした。
後で「用意が良かったから、ぎりぎり間に合ったね」と言われたりしましたが、現実は「ぎりぎりアウト」です。
あと1週間続いたら私が到底もたなかったと思うし、最後には母にも骨折させてしまった。
ケアマネさんには、緊急で入れる短期入居型施設を探してもらっている状況でした。
コロナ下、ベテランケアマネさんでも入れる施設が見つからず、最終的には療養型病院の「レスパイト入院(社会的入院)」も検討中でした。
昨日「施設介護について聞いていい?」と言っていたジム友も、最後には「まだ大丈夫だと思う」と言っていましたが、正直、準備は急いだほうが良いと感じています。
うちの母も、脳梗塞の後遺症を抱えていても90歳過ぎてまだ達者だったし、10歳以上若見えするほどでしたが、衰えるときはほんの3か月ほど。
傍から見て待ったなしの衰えがわかるほどになってから、3か月で満足できる入居先を見つけるのは至難です。
経験からはそう思うんだけど、自分の親だとなかなかわからない。
ごく親しい友人なら、嫌がられても繰り返し薦めるところです。