2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中
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群馬県内の店舗でエアロレッスンを受けて、駐車場から幹線道路に出たところ。

すぐ先で車線が少なくなるので、一気に加速して合流前に遅い車の前に出る、少々乱暴な運転をする箇所です。

いつも同様アクセル踏み込んだとたんにハンドル取られ、一瞬思ったのは「バーストはてなマーク叫び

必死でハンドル操作して左側に停車したところ、信号機や標識がブンブン揺れていて、地震とわかりました。



揺れが収まってから走り出すと、信号は全部消えたまま。

群馬県の交通警察はかねてからよく働くと思っていましたが、あの日も速やかに幹線の交差点に出て交通整理していました。

幸い、自宅から3分のところまで、ずっと幹線道路。

おかげで、ほぼノンストップで走れ、45キロを60分で帰宅できました。

普段ならもっとスピード出して走行していても1時間切ったことは無かったので、信号で停車しないと速い。



家から最寄の交差点も信号は消えていて、そこにも警察官の姿。

リビングにはピアノがあるし、サブリナわんわんがどうしているか不安の極致でしたが、町内に入ってきたら驚くほど静かないつもの風景で。


我が家では出窓の写真立てがひとつ倒れていただけで、ピアノ含め、家具は全く異常なし。

リビングのそこここにサブリナのお漏らし跡があっただけでした。

それでも、無事に感謝して。

怖かったよね、ひとりにしていてごめんね。


それからようやく夫や実家に電話しました。

実家は即、無事確認。

夫への携帯電話はつながらず、結局つながる前に帰宅となりました。




「○丁目」の丁内は瓦が落ちた家も無く、全戸無事。

町内でも、地盤がしっかりしている地域だったらしい。

でも、近隣には液状化したところもあって、しばらくは家の近くのコミュニティセンターで避難生活をされていました。


スーパーやコンビニの棚から一気にモノが無くなって、家庭内在庫のありがたみが身にしみたのも。

我が家はローリングストックを以前からしていて、水とお茶は2リットルペットボトルを各4箱(24本)、トイレットペーパーやボックスティシュも未開封ワンパックは必ず在庫しています。

ガソリンも、何気なく翌日朝入れに行ったので無くなる前に満タンにでき、モノが無い間、自由に動き回れたのも助かりました。



以後、ローリングストックの必要性を再認識し、母にもするように言いますが、あちらは「大丈夫」と一向に切迫感がありません。

あの日以降の1週間、「牛乳と納豆が無いと、朝ごはんが食べられない」と泣きつかれ、毎日近隣で買い集めては届けていました。

「いざとなれば、娘がどこからでも調達してきてくれる」と、かえって学習してしまったようで、良くなかった。




「首都直下型」が来ても、前回と同程度の震度になりそうなので、多分大丈夫だろうと思います。

「遠足」しなくなったので、「家に帰れない」も無さそう。

あとは、備蓄だけなので、以前のローリングストック以外に、乾麺・缶詰・カセットコンロを足しました。

サブリナのフードに関しては、ローリングストック無し。

そもそも、普段から量食べないし、人のモノばかり欲しがるので、私たちの食べ物があれば大丈夫。