前回ご紹介した歌曲集「二番目に言いたいこと」の5曲目「いちじくの木の下」の歌詞は以下のように始まっている。
いちじくの木の下に行けば
キリストの声が聞こえてくるようだ
「ザアカイ、ザアカイ。急いで降りて来なさい」
この歌詞は、新約聖書「ルカの福音書」の以下の記述に基づいている。
それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:1~10)
「アブラハムの子」というのは「アブラハムの子孫」という意味だが、アブラハムは旧約聖書に登場するユダヤ人の先祖で、信仰の父と呼ばれている。私の持っている新改訳聖書の注釈によると、この聖書箇所では、「アブラハムの子」は「アブラハムと同じ信仰を持つ者」というような意味だそうである。最後の聖句「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」は、新改訳聖書によると「ルカの福音書」の主題である。「人の子」はイエス・キリストご自身を指すが、なぜイエスがご自身のことを「人の子」と言うのかは、ここに書くと長くなるのでやめておく。「失われた人」はこの聖書箇所ではザアカイのことだが、彼は皆に「罪人」呼ばわりされ、救いからはほど遠いと思われていた。当時の取税人は私腹を肥やしているということでかなり卑しめられていたらしい。イエス・キリストは皆から「罪人」と呼ばれて白眼視されていたザアカイを捜し出して救われた。ザアカイが救われたことは、彼が「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と言ったことによってわかる。この言葉は彼の回心と悔い改めを表している。