このブログを書き始めて、はじめて自分が自分の吃音と向き合ってるのかなぁと感じました。

でも、考え方は色々ありますが、私は吃音と仲良く付き合って行くつもりはありまへん…ちなみにですが。

気がつけば、これまで吃音に関する情報なんて自分で積極的に入手しようなんてしませんでした。

随分前にWikipediaで検索した程度です。

ですが、今や吃音に関するサイトを検索してみたりして、へ~ほ~は~なんて感心しながらみてます。

ところで多いですね、「吃音克服」系のサイト。
つい、「ええ!まじ!?」って思ってみちゃいますよね、それ系のサイト。

こうしたサイトの良し悪しを議論するつもりはさらさらなくって、そもそも吃音って克服、改善、完治するの?っていうのが本日のお題。(笑)

なぜなら、人って慌てたり、極度の緊張状態に陥った時、言えば、誰でもどもるではないですか!

ドラえもんやのび太、ジャイアンですらどもるシチュエーションってあるじゃない。

お~仲人さんが新郎新婦よりあがっちゃって、何しゃべってんのかわからん、落ち着いて喋れ~みたいな。

前にも書いたかもしれないけど、人がしゃべっているのに耳と目を向けてみよう。
色んな意味でまともに喋れている人なんていません。

でもここで私が言うのは「だから安心しろ」ってことではありません。

どもりって日常生活の中に実は当たり前のように存在していて、我々のどもりは残念ながら日常生活に支障のある程度にまで酷くなっていると言うことかと。

この考え方は以前書いた
「一層のこと吃音が病気、障害として社会に認知された方がどれほど気が楽か」
という考えとはまったくことなりますがね。

じゃあどうするか。
どもりの程度を徐々に下げて、まあまあ聞ける会話に持って行くことなのかと。

…自分に言い聞かせている面もあります。
甘えてはあきまへん。

話はインターネットに戻りますが、つい唸ってしまったのは言友会の「吃音者宣言」の次のくだり。
(引用、掲載許可はとってません…)

『……自らのことばに嫌悪し、自らの存在への不信を生み、深い悩みの淵へと落ちこんで行った。また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。』

ん~まさしく!!!って感じ。