これまで本当の学力とは何かについて書いてきました。
①「見える学力」と②「見えない学力」と③「学習能力」の三つです。
「①見える学力」とは、教科に関する学習。
塾や予備校が最も得意とする部分です。
経済的な影響を受けやすい部分であります。
ここの部分の力を抜いているのではないかと現在は学校教育が批判されています。
②「見えない学力」とは人間関係を構築する能力であったり、
コミュニケーション能力であったりします。
社会の一員として生きていく能力(社会性)のことです。
これは数字にして評価のしずらい部分です。
これは主に学校教育が担っていると思います。
この「見える学力」の土台となる、
「見えない学力」を無視しているとおかしなことになるんですね。
極端な例を挙げれば、小中高と学校に行かず、
塾や予備校にだけ通い続けて大学に受かったとしても、
その先に何が待っているのか・・・という話です。
最後に③「学習能力」について。
学習能力とはヒトとして命を守るためについている能力のことです。
熱いアイロンに触ればもう二度と触ろうとは思いません。
水が鼻に入れば入らないような工夫をします。
それが当たり前なのですが・・・その能力が落ちている気がします。
というよりも、発達しておかなければならない段階なのにまだ?という状況です。
(注* ADHDやLDとはまったく別の話です)
どうも最近では大人が子供に迎合しすぎているのではないでしょうか。
子供のために良かれと思っていしていることが、子供にとってはいい迷惑で、
そのせいで、学習能力の発達に遅れが出てしまっているのではないでしょうか。
「わがこのため」が「親の自己満足」にすり変わってしまっているように感じます。
そうならないように、常に「この子にとって本当に必要なものは何なのか」
という自問自答と相談が必要だと思います。
(もちろん問題はそれだけではなく複合的に絡み合っているのですが、それはまた別の機会で)
学力とはこの三つに分類することができ、どれも大切なことです。
つまり単に分類することができるだけで、ばらばらに、別々に、分解することはできません。
この三つがさまざまなかかわりあい方をして学力を形成しているのです。
例として、英語を話せるというのは①でしょうか?②なのでしょうか?あるいは③?
答えは・・・アメリカ人なら③です。海外旅行に行けば②です。受験生にとっては①です。
優先順位としては、土台から「学習能力」→「見えない学力」→「見える学力」です。
このピラミッドをバランスよく大きくしていくこと学力をつけることなのではないかと思います。
そしてこの学力の三角形を私は「生きる力」だと考えています。
頭でっかちな三角形や台形になってしまうような教育はいかがなものでしょうか?