山口螢 父の強さ手本にザックJの欠かせない存在に | Shining Star★+。*

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MF山口蛍、父の強さ手本にザックJの欠かせない存在に
2013.12.18 12:24

ザック日本代表のキーマン、MF山口蛍(23)=C大阪=の父・憲一さん(46)に独占インタビューしました。憲一さんは山口が小学4年のときに妻と離婚。苦難を乗り越えた父子家庭の子育て術に迫った。
(取材・構成=白石大地)


〔1〕ボーナスなくなり収入は半分に…

【フリーター転身で子供との時間を優先】

昨年のロンドン五輪出場、そして今年7月の東アジア杯でフル代表初選出。さらに11月の欧州遠征ではオランダ戦、ベルギー戦に先発出場するなど、山口は一気に日本代表に欠かせない存在となった。2つ上の兄・岬さんの影響で、サッカーを始めたのは三重・錦生小1年。3年のときには父・憲一さんが、所属する箕輪ウエストサッカークラブのコーチに就任した。

「本人は口には出さなかったですが、やりづらかったと思いますよ。でも、もちろんトレーニングは厳しかったし、私は甘やかすことなく、まわりの子と同じように接しました」

1年後、激震が走る。山口が小学4年のとき、両親が離婚したのだ。当時、三重・名張市から大阪の会社まで通勤していた憲一さんは、重大な決断を迫られることになった。「子供との時間をとるか、普通に安定した生活をとるか」。悩んだ末に選んだのは、子供との時間だった。

「サッカーという共通項があったので、いっしょに過ごす時期を逃して、あとから後悔したくなかったんです。息子たちの進む道がそれることにもなりかねないとも思いましたし」

会社を辞めてフリーターに転身。アルバイトを掛け持ちして生計を立てた。昼は土木作業員、夕方5時からボランティアでサッカーコーチ。夜は知人の経営するバーで働いた。

「もちろんボーナスは出ないし、完全に時給ですしね。収入は半分くらいに減りました」

離婚してからの山口の様子について「情緒不安定な時期もあったけど、何も変えようとは思わなかった。目の前のことをやるしかなく、そこまで考える余裕がなかった」と振り返る。そんな生活は、山口が中学2年になるまで続いた。


〔2〕睡眠2~3時間、気力で頑張った

【手作り弁当がポリシー】

週4、5回のバーでのアルバイトは深夜2、3時まで及んだ。その間、2人の息子はというと…

「子供らもいっしょに行きたいと言ってましたからね。車に布団を積んで、仕事が終わるまで寝ていましたよ」

1ボックスタイプの車で寝泊まりするという想像を超えた生活だが、憲一さんは「そういう過酷な状況を経験したから、本人は病気もなく体が丈夫なんだと思いますよ」とあっけらかん。ただ、一方で憲一さん自身は毎日、疲労困憊だったようで、「睡眠時間は平均2、3時間くらいでした。寝不足だけど、あとは気力でもっていた部分があったんじゃないですかね」と笑う。

そんな中、いくら眠くても、朝の“仕事”をやり遂げた。5時に起きて、「息子2人のお昼の弁当は必ず作っていました」。自宅の離れには憲一さんの母、つまり山口の祖母が住んでいたが、どんなときも代わりに作ってもらうことはしなかった。

「もし祖母に頼んだら、子供らがその姿を見て何か感じると思いました。絶対に自分が作らないとダメやと。お母さんがおらんからできないと思われたくなかったし」

父親の弱さは決して見せない。料理本を参考にしながら、山口の大好物である卵焼きは必ず入れた。みそ汁も作って持たせた。

当時、山口は39度の高熱があっても、ランニングの練習で必死に走って一番になった。試合でも相手選手との接触プレーで痛がることは少なかったという。「甘えることはなかった」と憲一さん。父親のたくましさが手本になった。


〔3〕宿題は電車の中で…的確アドバイス

【プロになってもサッカーのアドバイス】

憲一さんは“永遠のコーチ”だ。自身は中学、高校でもサッカーに興じたが、選手として大成することはなかった。それでも、日本代表まで上り詰めた山口に対し、今でもアドバイスを送り続けている。

「私もサッカー選手の端くれなんで、『きょうはここがアカンかった』『こうした方がええやろ』ってメールしますよ。向こうから返信はないけど、たぶん分かっているはずなんです。片隅に置いて参考にしてくれたらいいなと思っています」

憲一さんが本格的にサッカーに取り組んでいたのは高校までだが、遠慮せずに言いたいことは言う。山口が出場するC大阪のホーム試合には必ず訪れ、アウェー戦もテレビ中継でチェック。「ちやほやされていると思うので、親父くらい耳の痛いこと言ってもいいんちゃうんかな」。山口のプレーに目を光らせている。

サッカー以外でも、山口は父の言葉にしっかりと耳を傾けてきた。三重・赤目中時代、C大阪のジュニアユースに電車で片道1時間半かけて通い始めたときだ。練習後、帰宅するのは深夜零時近く。勉強面を心配した憲一さんは、「宿題は電車の中でやれ」と指示した。「『あいつはセレッソに行っているから成績が悪い』と言われるのはあかんぞ。少なくても平均点は取れ」。山口は泣き言を言わず、父の期待に応えた。

来年6月にはブラジルW杯が控える。順調にいけば、昨年のロンドン五輪に続く世界の舞台となる。「選ばれたら応援に行くでしょうね。でも、五輪に行ったのでお金の方が追いつかないんですけどね」と憲一さん。「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられるように」と名付け、男手ひとつで育てたわが子を見守っていく。


▼山口 蛍(やまぐち・ほたる)
MF。1990(平成2)年10月6日、三重・名張市生まれ、23歳。錦生小1年から箕曲ウエストクラブでサッカーを始める。赤目中からC大阪ジュニアユース、清明学院高から同ユースに所属。2009年にプロ契約。12年ロンドン五輪に出場し、4強に貢献。今年7月の東アジア杯でフル代表に初選出。名前の由来は「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられるように」。1メートル73、72キロ。血液型A。

▼山口 憲一(やまぐち・けんいち)
1967(昭和42)年5月10日、大阪・豊中市生まれ、46歳。小学校からサッカーを始め、三重高1年まで続ける。現在は会社員として働きながら、箕輪サッカークラブのコーチも務めている。


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いい話ですね(*^^*)



螢のお父さん若い!
子供たちとの時間とるとか
めっちゃかっこいいヽ(;▽;)ノ



螢は日本代表に必要です!



五輪世代では誰よりもW杯に
近い存在だって
個人的に思ってます!