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ネクタイ・アル中。
そんな言葉がありました。今は昔ですね。
アルコール依存症のことがまったく理解されておらず、ましてや、アル中という蔑称で呼ばれていた頃の話です。
あ。僕は、蔑称であるアル中という呼び方でなく、正式な病名であるアルコール依存症、という、そういう名前で呼んでゆく方が良い、そうすることで、救われる仲間がいる筈だと、そう考える方です。
というのは、アル中という表現には、性格的に問題がある、あるいは人間性に問題がある、などと言う意味合いが多少なりもと含まれており、それが、場合によっては、アルコール依存症者自身が、自分のことを、
「これは病気なんだ」
と自覚する、そんなチャンスが、みすみす失われてしまう、そんなこともあるかも知れない、と、そう思うからです。アルコール依存症が病気であることを認識し、
「病気なんだから治療することができる。病気なんだから治療を受けないとならない」
~そう、アルコール依存症は進行性の病気なので、治療しない限りは病気が進行してしまいますので、ね~
病気を治療しよう、と、そういうスタンスにたどり着くことは、このアルコール依存症という病気を克服する第一歩になり得る、そんなきっかけのひとつやないか、と、そう思うからなんですけどね。
あ。で、その、ネクタイ・アル中。これは、以前の一般的なイメージの、
「アル中」イコール「仕事も家庭もなくして、あるいは場合によっては住む場所すら失って、昼日中からお酒を飲んでいる人」
という時代の話です。その時代ですら、これは解っていたことなのですが、その
「アル中」イコール「仕事も家庭も住む場所もなくした人」
というイメージは、間違い、大いなる勘違い、で、きちんとした職業を持ち、一見、社会性を失わずにいる人でも、実際にはアル中(あるいは、隠れアル中)という状態であるというケースがあり得る、と、そういうことから来た言葉です。
「俺がアル中だって!」「なにを言うか!?俺は、きちんと仕事もしているし、家庭も守っている。仲間と付き合いもできているぞ!」「あんな浮浪者まがいの連中と一緒にするな!」
・・・という、そんな人に、
「あなたの様に、一見、浮浪者まがいのアル中でなくても、お酒に問題があれば、それは立派に?アルコール依存症なんですよ」
と、こう指摘する、そんな言葉が、ネクタイ・アル中です。
実際、僕も、自分のお酒の問題はある、と、そう思いながらも、
「いやいや。僕はきっちりと仕事してるし、社会的にもそれなりに認めれている。何社か転職はしているものの、それは次の仕事の誘いがあったからだ!」
「今、世の中で皆が使っている、あのサービスだって、僕の考えたものだ」
「仲間だって、友達だって沢山いるんだ」
などなど、まさに、「アル中」イコール「浮浪者まがいの家庭も仕事もなくした人」という、そんな認識に凝り固まって、
「僕は違うんだ」
と独り言しながら、ますます多くのお酒を飲む、そんな日々を無駄に重ねて、この病気の進行を助けることとなってしまっていました。
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