新しい勤務先で働き始めて、かれこれ3ヶ月も経った頃やったでしょうか?
その新しい会社でも、やっぱり日中隠れ酒をしていた僕は、その3ヶ月で、前から痛めていた膵臓の炎症を悪化させて、オフィスに救急車を呼んでもらい、緊急入院することとなりました。
偶然なのですが、緊急搬送で運ばれた病院は、東京23区内西部では、膵炎の治療の権威の病院のようで、担当の医師の先生がとっても熱心な方でした。
約10日間。
僕はその病院に入院中に、絶飲食の治療を受け、膵臓の状態の安静化をはかることとなりました。
膵炎の治療は、この絶飲食が基本。
飲み物、食べ物を断って、ひたすら膵臓を休めて、平常の状態に近づけます。
こうして膵炎の治療の為に入院するのは、実は3度目。
一度目、始めての膵炎の入院では、やはり救急車で緊急搬送されましたが、入院一日後には意識不明になり、そのまま5日間危篤状態の陥ってしまいました。
その後、医師曰く「奇跡的に」回復し、約一ヶ月で退院。
流石に?「もう、お酒はこりごりや」と思い、禁酒したものの・・・ほんの一ヶ月もしないうちに再飲酒。
再び連続飲酒に陥ってしまいました。
連続飲酒の日々が続き、最早仕事も手につかない状態になり、当時勤めていた会社を退社。
自宅で朝からお酒を飲んで、さらに毎日朝からお酒を煽る日々となってしまいました。
再び、膵炎を悪化させることなって、再度救急車で緊急入院。
その病院を無理矢理一週間程で退院し、もう一度、しばらくお酒のない生活を送ることになります。
しばしの素面の日々。
アルコール依存症社の常?なのか、お酒の入らない状況では、いたって真面目で小心者なワケで、真面目にこつこつと、再び就職活動に勤しみます。
努力の甲斐もあって、大手の企業に企画職を見つけて入社が決定。
入社日までのしばらくの待機の期間に、本当にちょっとした、ほんの気の弛みで再飲酒。気がつけば、通勤開始日には、元の木阿弥。朝からお酒を飲む生活に戻ってしまっていました。
そして三ヶ月が過ぎ、三度目の膵炎での入院。
この病院でのK医師との出会いで、少しだけ、僕の、この病気に関する意識に変化が出ました。
ただ、それから今の断酒に繋がるまでには、まだまだ三年近くの日々を要する、紆余曲折があるのですが、それでも、K先生との出会いは、僕がアルコール依存症を克服するのに繋がる、そんな第一歩やったのかも知れません。
その新しい会社でも、やっぱり日中隠れ酒をしていた僕は、その3ヶ月で、前から痛めていた膵臓の炎症を悪化させて、オフィスに救急車を呼んでもらい、緊急入院することとなりました。
偶然なのですが、緊急搬送で運ばれた病院は、東京23区内西部では、膵炎の治療の権威の病院のようで、担当の医師の先生がとっても熱心な方でした。
約10日間。
僕はその病院に入院中に、絶飲食の治療を受け、膵臓の状態の安静化をはかることとなりました。
膵炎の治療は、この絶飲食が基本。
飲み物、食べ物を断って、ひたすら膵臓を休めて、平常の状態に近づけます。
こうして膵炎の治療の為に入院するのは、実は3度目。
一度目、始めての膵炎の入院では、やはり救急車で緊急搬送されましたが、入院一日後には意識不明になり、そのまま5日間危篤状態の陥ってしまいました。
その後、医師曰く「奇跡的に」回復し、約一ヶ月で退院。
流石に?「もう、お酒はこりごりや」と思い、禁酒したものの・・・ほんの一ヶ月もしないうちに再飲酒。
再び連続飲酒に陥ってしまいました。
連続飲酒の日々が続き、最早仕事も手につかない状態になり、当時勤めていた会社を退社。
自宅で朝からお酒を飲んで、さらに毎日朝からお酒を煽る日々となってしまいました。
再び、膵炎を悪化させることなって、再度救急車で緊急入院。
その病院を無理矢理一週間程で退院し、もう一度、しばらくお酒のない生活を送ることになります。
しばしの素面の日々。
アルコール依存症社の常?なのか、お酒の入らない状況では、いたって真面目で小心者なワケで、真面目にこつこつと、再び就職活動に勤しみます。
努力の甲斐もあって、大手の企業に企画職を見つけて入社が決定。
入社日までのしばらくの待機の期間に、本当にちょっとした、ほんの気の弛みで再飲酒。気がつけば、通勤開始日には、元の木阿弥。朝からお酒を飲む生活に戻ってしまっていました。
そして三ヶ月が過ぎ、三度目の膵炎での入院。
この病院でのK医師との出会いで、少しだけ、僕の、この病気に関する意識に変化が出ました。
ただ、それから今の断酒に繋がるまでには、まだまだ三年近くの日々を要する、紆余曲折があるのですが、それでも、K先生との出会いは、僕がアルコール依存症を克服するのに繋がる、そんな第一歩やったのかも知れません。