★タイトルが薔薇のうた - 邦楽60's編
お久しぶりです。![]()
![]()
最近の近況報告と言えば、緊急事態宣言。そして2週間も早い梅雨入り。。。![]()
蒸し蒸ししてたまらないので、流石に扇風機を出しました。そして近日中には、エアコンの掃除しなくちゃね。。![]()
天気予報で言ってたけど、以前梅雨入りが早かったのは1963年5月8日。なんと58年ぶり![]()
こんだけ梅雨入りが早いなら、梅雨明けも早いかと思えば、なんと7月19日頃らしい![]()
梅雨が長い~~~ってこと?!何とも言えないしね。短いと夏が長いし。。。アーイヤイヤ。。。な時期だね。![]()
そして、予定では、おとといと昨日は、ばら祭りだったが、今流行のオンラインでした。
例年なら、ローズパレード、野外ライブ、露天などで賑わうんですが。。。 ま、しょうがないと。。。![]()
で、考えたのが、一人ばら祭り??園芸には、詳しくないので曲を紹介することにしました。(笑)![]()
![]()
ばら公園のドーム
知ってるか?知らないか?取り合えず、一部ですが、ぱぱっと記憶と検索で書いてみました。
まずは、1960年代のこの曲から ↓
1965 - 恋は紅いバラ - 加山雄三 ※ロッカバラード

若大将こと加山雄三の4枚目のシングル。ペンネーム「弾厚作」としてのデビュー・シングル。同曲はもともと英語詞の「DEDICATED」として学生時代に作られていたものが、63年公開の若大将シリーズ4作目映画「ハワイの若大将」で採用され、さらに65年8月公開の若大将シリーズ5作目映画「海の若大将」では岩谷時子による日本語詞を得て主題歌となりヒットに至る。
のちに大ヒットとなる次作品「君といつまでも」同様、三連のロッカバラードでコード進行も非常によく似ており、原形とも言える作品である。
ちなみに、「弾厚作」とは、團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割ったのが名前の由来。神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市育ちの俳優・シンガー・ソングライター・画家。愛称は「若大将」。作曲家として弾厚作名義も。慶應義塾大学卒業後、60年に東宝と契約して映画デビューを果たすと、翌年に「夜の太陽」で歌手デビュー。
以降、映画“若大将シリーズ”で若手看板スターとして国民的人気を獲得、歌手としても「君といつまでも」「お嫁においで」など数多くのヒット曲を放ち、エレキ、ハワイアン、スタンダードまでこなす「日本のシナトラ」として活躍。2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。同年より「THE King ALL STARS」としても活動している。
1966 - バラが咲いた - マイク真木 ※フォークソング
本名、眞木壮一郎、東京赤坂出身、フォーク歌手、俳優である。日本大学芸術学部在学中にモダン・フォーク・カルテットに参加。 1966年、「バラが咲いた」でソロデビュー、
30万枚以上を売り上げる大ヒットとなる。本曲を手掛けた、シンガーソングライターの「浜口庫之助」が、童話『星の王子さま』の薔薇をテーマにした一節からモチーフを得て作詞・作曲したと言われる。この曲のヒットが契機となって日本の音楽界にフォーク・ソングブームが広がっていくこととなる。
当時ジーンズ姿で、この曲を昭和41年『第17回NHK紅白歌合戦』で歌い話題を呼んだ。その後、1971年モービル石油CMソング「気楽にいこう」が話題になった。また、有名な「キャンプだホイ」の作詞作曲も手がけている。
アメリカ大陸、ハワイに長期在住の経験を経て97年、ドラマ「ビーチボーイズ」の出演を機に帰国。現在は赤坂と千葉・九十九里を行き来する生活を続けている。3人の息子は皆プロサーファー。
1966 - バラの花嫁さん - ジュディ・オング ※青春歌謡
ジュディ・オングの2枚目のシングル。中華風の青春歌謡。中国語と日本語の交互で歌っている。作詞は、都はるみの「好きになった人」などで有名な白鳥朝詠。作曲は、大川栄策の「さざんかの宿」や、都はるみの曲などを手掛けた市川昭介。
1950年、台湾生まれ。2歳の時に来日し、61年映画デビュー。子役として活躍したのち、66年に日本コロムビアより「星と恋したい」で歌手デビュー。同年、『サイボーグ009』・『サイボーグ009怪獣戦争』の劇場用映画二作で003役(初代)として声の出演。67年4枚目のシングル「たそがれの赤い月」がスマッシュヒットする。同時期に『涙くんさよなら』、『青春ア・ゴーゴー』、『帰ってきた狼』などの多くの映画やテレビドラマ『S・Hは恋のイニシァル』などにも出演し人気を得た。
女優・タレントとして人気を得る一方、79年に唄った「魅せられて」が大ヒット。その後も日本を中心に台湾、中国などで活躍。95年には中国で開催された世界平和音楽祭をプロデュースし、成功に導くなど多方面で才能を発揮。北京語・広東語で歌ったアルバムもあり、好評価を得ている。
1967 - 野バラ咲く路 - 市川染五郎 ※一人GS
歌舞伎役者の現在二代目「松本白鸚」が、当時六代目「市川染五郎」時代に、自ら作詞・作曲・歌唱した曲。当時流行のグループサウンズを意識した曲で、一人GSしている。同曲の別アレンジを『ザ・ベストテン』にて歌唱したこともある。
趣味はギター演奏、絵画、競馬など幅広い経歴の持ち主。子供は、長男・十代目松本幸四郎、次女・女優の松たか子。
1967 - バラ色の二人 - 橋幸夫 ※青春歌謡
橋幸夫の88枚目のシングル、青春歌謡。カップリング曲は、「夜は恋する」。同曲にもとづいて1967年映画化され主題歌に使用され、本人も出演。
東京都荒川区出身。1960年に「潮来笠」でデビューし、ヒットを記録。西郷輝彦、舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれ人気を集めた。62年に吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」、66年に「霧氷」で共に『日本レコード大賞』大賞を受賞。以降、多数の作品をリリースする傍ら、全国各地で講演活動も行っている。
1967 - バラ色の雲 - ヴィレッジ・シンガーズ ※グループサウンズ
ヴィレッジ・シンガーズの3枚目シングル。メンバーチェンジして再デビューした作品。作詞 橋本淳、作曲 筒美京平のコンビ作品。
斬新なメロディで、筒美京平の出世作でもある。大ヒットとなり60万枚超を売り上げ一躍脚光を浴び、GS界の仲間入りを果たすのである。
1967 - バラと太陽 - 黛ジュン ※ビート歌謡
渡辺順子から黛ジュンに1967年改名後再デビュー、同年2月発売のシングル「恋のハレルヤ」でミニスカートと共にパンチの効いた歌声で一気に注目を集める。グループサウンズのブームと同時代に活躍したこととサウンドから、中村晃子らとともに一人GSとも呼ばれた。
「バラと太陽」は、同年12月発売のアルバム「恋のハレルヤ」に収録の曲。翌年1968年にリリースされた「天使の誘惑」は更なる大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝いた。1967年から1968年の2年間で、レコード売上が500万枚を記録。
1968 - 薔薇の涙 - 三田明 ※青春歌謡 
三田明の通算34枚目のシングル、青春歌謡。62年、オーディション番組で作曲家・吉田正に認められ、芸能界入り。翌63年に「美しい十代」で日本ビクターから歌手デビューするとともに、さらに翌年64年には同名の映画で映画初主演。
同曲は、往時を知る多くの者達に歌い継がれている青春歌謡であり、代表曲である。御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)に比べると後発のイメージがあるが、全国歌謡ベストテンでは10曲以上の1位をもつなど御三家以上に大健闘した。また当時、この3人に彼を加え「四天王」とも呼ばれた。
1968 - 別れのバラ - ザ・ヴァン・ドッグス ※グループサウンズ
ザ・ヴァン・ドッグスの前身は、1959年11月に結成されたロカビリーバンドの「岡田朝光とザ・キャラバン」であり、エレキ・インストバンドからGSスタイルに以降するにあたって「ザ・ヴァン・ドッグス」と改名した。
1967年4月「熱い砂」でレコード・デビュー。「ヴァン」という「ブルドッグ」がトレードマークでステージにもよく連れてきた。GS世代より一世代上のメンバー中心だった為に、1967年10月1日、リーダーの岡田朝光が一線から退きマネージャーに廻りメンバーを一新した。
大幅な若返りをし再起を図ったが、ヒット曲には恵まれず「別れのバラ」を最後に解散へと追い込まれて行った。
36枚目のシングル。当時のビート歌謡全盛時代という、ひとりGS風のパワフルなポップス・ナンバー作品。作編曲とも師匠である市川昭介。
64年、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得する。「はるみ節」と呼ばれる、うなり声のような力強いこぶし回しや、波打つような深いビブラートが独特で、昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、名実ともに日本を代表する女性演歌歌手となった。
が、しかし2016年活動休止を発表する。
1968 - バラの恋人 - ザ・ワイルド・ワンズ ※グループサウンズ
6枚目シングル。作詞は安井かずみ、作曲は加瀬邦彦。童謡風の曲であり、渡辺茂樹が加入した記念作品である。渡辺のソロパートで、オリコンチャート6位のヒットとなった。
ザ・ワイルド・ワンズというグループ名の由来は、60年代から親交のある加山雄三が星占いにより、『野生児』という意味を込め命名。66年11月に『想い出の渚』でからデビューを果たす。同曲はデビュー・ヒットとなった。その後も「青空のある限り」、「愛するアニタ」と佳曲を発表した。
68年1月、ザ・タイガースの人気がどんどん上昇し、アイドル性という面で対抗するため、当時16歳だった渡辺茂樹を加入させる。若さもあり、渡辺は「チャッピー」というニックネームで人気となり、明星、平凡などでは「ジュリー、ショーケン、チャッピー」の特集が掲載されたりした。
当時、ジャッキー吉川とブルーコメッツ同様にNHKへの出演が許されたグループサウンズだった。
1968 - バラのささやき - 響かおる ※ビート歌謡
「バラのささやき」は、「星とお月さま」とカップリングの曲。1968年9月にリリース、自身の2ndシングル。
響かおるは、キューティーポップ・ビート・ガール系歌手として外せない存在。エレキ歌謡・一人GSに通ずる。高校在学中にオーディション番組で合格したのをきっかけに、芸能界入りし、1968年3月に「太陽がこわいの/愛されたいの」でデビュー。黛ジュンと同等のパンチのある声で、明るい歌い方をしている。
1970年までに、6枚のシングルを発売。2006年発売の「昭和ガールズ歌謡 レアシングルコレクション」に、未発表曲「アイリスをあなたに」が、収録されている。このアルバムには、当時、レーベルで盟友だった、西野バレエ団出身・原田糸子の曲と同時収録されている。
1969 - 風とバラの荒野 - 中村晃子 ※70年代ポップス
「風とバラの荒野」は、12枚目のシングル、70年代ポップス風な曲。
63年第2回ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選。松竹へ入社し、映画デビュー。多数の映画に出演し、66年頃には俳優の田村正和と共にモッズ・カップルとして人気を博した。
65年に歌手デビューをし、67年7枚目のシングル「虹色の湖」が大ヒット、当時音楽界を席巻していた「一人GS」の一人者である。同年「第19回NHK紅白歌合戦」に出場。グループ・サウンズ全盛の時期にあって、女性ソロ・シンガーとして80万枚を売り上げた。
この曲は彼女の最大のヒットで、チャート3位まで上昇した。
当時はミニスカートやミリタリー・ルックのファッションだった。続く68年の「砂の十字架」もヒットを記録。また、アメリカドラマ「かわいい魔女ジニー」の声優も担当。71年にはテレビドラマ「美しきチャレンジャー」の主題歌を担当。その後、カバー曲「あまい囁き」や、「恋の綱わたり」が大ヒットとなった。
ささっと、紹介しましたが、次回は70's編をお楽しみに。。。。![]()
![]()
![]()



