★山下敬二郎さん死去…カーチス「最期までロカビリーだった」 | ロカビリー青春白書

★山下敬二郎さん死去…カーチス「最期までロカビリーだった」

★山下敬二郎さん死去…カーチス「最期までロカビリーだった」

$ロカビリー青春白書-山下敬二郎



「ロカビリー3人男」として一世を風靡した歌手、山下敬二郎さんが5日午後7時55分、入院先の東京・町田慶泉病院で、胆管がんによる急性腎不全のため死去した。71歳だった。山下さんは昨年11月末にがんが見つかり、ほぼ手遅れと宣告されたが、死の10日前にもステージに立ち、自身の代表曲「ダイアナ」が絶唱となった。

山下さんは昨年11月下旬、体調不良を訴えて精密検査を受けたところ、胆管がんと診断された。横浜市の昭和大学藤が丘病院に入院したが、「ほぼ手遅れの状態」(関係者)で、かなりショックを受けたという。12月17日には東京都板橋区の日大板橋病院に転院。年明けの手術を目標にしていたが、経過は思わしくなかったという。

それでも、歌への熱意は衰えず、作曲家の平尾昌晃(73)ら仲間の後押しを受けて、ステージへ。同月26日に栃木県佐野市でのディナーショーで、「私はがんですが、必ず打ち克ちます」とファンに宣言。車いすから「ダイアナ」など4曲を熱唱し、10分の予定を大きく上回る約40分のステージをこなした。

都内のライブ出演は断念したが、会場に電話で「行けなくて申し訳ございません」と話し、最後までステージやファンのことを気に掛けていた。

最期の日となった1月5日は自宅近くの病院に転院し、その処置の最中に容体が急変。妻の直子さん(46)、高2の息子、中2の娘に看取られ、息を引き取った。

昭和の落語家・喜劇俳優として大活躍した柳家金語楼を父に持つ山下さんは19歳でデビュー。平尾やミッキー・カーチス(72)とロカビリー3人男として「日劇ウエスタンカーニバル」を連日沸かした。当時、興奮した女性が脱いだパンツを投げ入れた伝説は有名だ。

平尾は「あまりにも早い訃報に言葉を失い、呆然としています。同じ音楽を53年間一緒にやって来れてとっても楽しかった」と振り返り、カーチスも「本当にショック。親友というより戦友だったよ。最期までロカビリーだったよ。何より、ロカビリー3人男はもうないんだよ。寂しいね」と落胆した。

今年4月9日に仲間が計画していた激励コンサートは、追悼コンサートとなりそうだ。


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ロカビリー三人男↓

ロカビリー青春白書-ロカビリー三人男





ロカビリー三人男で有名な、元祖ロカビリアンこと、山下敬二郎氏が、亡くなられました。。。

夕べ夜中にアメブロ友達の方から、訃報を聞かされびっくりしました!!

非常に残念です!! 段々ロカビリアンが減っていく。。。。

僕の生まれる少し前、昭和33年に日本中をロカビリー旋風を巻き起こした立役者の方です。

平尾昌章さん ミッキーカーチスさんと三人で、ロカビリー三人男と称して、STAGEでビリーしてましたね。


中央が山下敬二郎氏↓

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リアルで観たのは、今から10年程前「オールディーズがやってくる」と云う企画イベントが、地元でありました。


あの頃は、リバイバル・ブームで全国あちこちで行われてたと思います。


3日位続いてました。 最後の日に、コニーさんと、山下敬二郎さんが出られましたね。。。


ハウンドドッグだったかな?  椅子に座ってツイストのフリしてたら、僕の顔見て敬二郎さんが、「前に出て踊れば良いのに♪」っておっしゃってくれて、


早速、走って出て、得意のツイスティンしたの覚えてますヨ! 突然言われてビックリ! 嬉しいやら恥ずかしいやらで。。。(笑)


MCも楽しませてくれて、感動のSTAGEでした。。。細い体でしたね・・・


この時の場所は、ホールでもなく、小さな体育館みたいな所で、すなわち特別に作ったわけで、お客さんも高齢者。。。


一番若いのも、僕くらいだったかな? 当時、僕が39才位だったから・・・


あとで、楽屋行ってサインや写真撮っとけばよかったと、後悔してます。。。。(涙)



謹んで御冥福を御祈りします。。。 合掌!



左から山下敬二郎氏、ミッキーカーチス氏、平尾昌章氏↓

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★☆この映像見たら、当時凄かったのが、伺えます!!↓

★1958(昭和33年)-日劇ウェスタンカーニバル

http://www.dailymotion.com/video/xgfx2z_rockabilly-1958_news




右端が山下敬二郎氏↓

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★ダイアナ・のっぽのサリー 山下敬二郎

http://www.youtube.com/watch?v=mFmohR58swg






★山下敬二郎 ロックンロールメドレー

http://www.youtube.com/watch?v=zg6lx_eAtvY




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■山下敬二郎 Wikipeia



★2月8日はロカビリーの日


◆1958(昭和33)年、ロカビリーブームの火つけ役となった『日劇ウエスタン・カーニバル』が開催されたことにちなむ。「ロカビリー」とはロックンロールとカントリー・ウエスタンのヒルビリーをあわせた音楽で、アメリカから上陸するやいなや若者たちが飛びつき、熱狂的なブームが巻き起こった。当時のロカビリー歌手といえば、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスの「ロカビリー三人男」。リーゼントにオープンカラーのシャツ、マンボズボンというファッション・スタイルはファンの間にも流行し「ロカビリー族」と呼ばれて社会現象になったそうだ。しかしブームというのはかならず終わるもの。日本を代表する一大イベントだったウエスタン・カーニバルも、1971(昭和46)年、第57回をもって幕を閉じた。

◆2005(平成17)年に発行された『昭和浪漫 ロカビリー 聞き書き:ジャズ喫茶からウエスタン・カーニバルへ』(ビリー諸川著、平凡社)の「1958―第一回日劇ウエスタン・カーニバル」に「一九五八年二月八日から一週間にわたって行なわれた。サブ・タイトルに“ロッカビリー・ショウ”と謳われた」とある。一九五八年は昭和33年にあたる。ウエスタン・カーニバルといえば、2008(平成20)年、新宿コマ劇場が閉館になる前に「同窓会」が開催されたイベントだ。その模様は後日テレビでも放送された。たくさんの紙テープがステージに投げ込まれたりしたものの、演奏も客席もかなり落ち着いた雰囲気に見えた。あくまでも画面を通しての印象ではあるが、どうやら立ち上がっていた人や、サイリウムを持っていた人はそれほど多くなかったようだ。盛り上がりすぎて収拾がつかないような黄色い声援ではなく、行儀のいい手拍子に合わせて、たくさんの歌手が楽しそうに歌っていた。なかには比較的アップテンポな曲を歌い終えたあとで次の歌手を紹介するときに、気のせいかもしれないが少々息が上がっている歌手がいたようにも見えた。こうしたところは時の流れを感じずにはいられなかった










ティーン・ポップ ベスト30
ティーン・ポップ ベスト30オムニバス 富永ユキ ダニー飯田とパラダイス・キング 弘田三枝子 高松秀晴 森山加代子 梅木マリ 山下敬二郎 スリー・ファンキーズ 斉藤チヤ子 ベニ・シスターズ

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