フィリピン女性を友人Rに紹介してもらう(3) | フィリピン珍道中「まーちゃんとブコの木」(遊び・仕事・生活・友人・恋愛・・・トラブルなど)

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フィリピンの友人の紹介はこれで最後になります。
実は前回の女性(2人目)の書類上結婚が難しいと判明
してからすぐに3人目の23歳を紹介する!と話があった。

友人に内情を詳しく聞くと2人目と同じ村の女性で
その村に友人の弟が住んでいると、その弟は私のために
女性を探していて2人目も弟の紹介だというのだ!
 その時私は、すごく優しいい弟だと思って、この人の
紹介なら会ってもいいかもしれない。こんなに早く探して
くれてと!内心同じ村の女性には気が引けたが、美人で
優しい、そして前回みたいなことは無いから安心してと
いう言葉もあって、私の心は会うだけあっても良いと!
会う返事をした。

 約一週間後にアンヘレスまでやってくると決まり、当日を
迎えました。来たのは、女性とその母、叔母さん、弟、そして
友人、友人の弟、弟の嫁と子供、7人(村からは6人)で
あった、こちらは私と知人、知人の奥さん(フィリピン女性)で
通訳もしていただいていました。総勢10人で日本食(YUFUIN)
でお見合いは始まりました。

 和やかに始まり、そんなに美人ではなかったが、いつでも
笑っている感じの良い女性で私も結婚してもいいかと思って
しまい、知人に話を進めたいとGOサインをだしたのであった。

 そこで知人は、ある条件を女性に出したのである。結婚
するまではアンへレスの知人の家に一緒に住む事と日本語
を勉強すること、結婚の手続きなどはこちらですべて行うこと!
などを提案したのだ。
 そうすると、女性の母親は、女性は月4500PHPを稼いで
家計を助けていて難しいと言った、知人は言った、そのお金
は住んでもらう家の家事をしてもらうので同じ金額を支払う
という条件を出した。更に母親は娘は今メイドをしている
オーナーに借金5000PHPがあるので、それを支払って
くれたら良いですよと言ってきた。すると知人は、では明日
オーナーと話し辞めることが可能か聞いて連絡を下さい
と言い、そして双方合意で解散をしたのであった。

 実は知人と私は話をしてあったのである、向こうの出方や
話の内容など矛盾がないかなど、私はできる状態でないし
言葉もわからない、技量もない!
 そして知人に言われたが、早くの結婚では相手を知ることが
出来ない、お付き合いをしてからと・・・
私はそれでも早く結婚をしたいと押したのである。知人は
分かりました、それでは協力はしますが、どうなっても良い
ですね?!と念を押され、私はそれでも良いですと前の日
に話し合いをしたのであった。

 翌日すぐに友人から連絡があり、朝すぐに弟と女性が
オーナーと話をしてOKをもらったと言ってきた、明日から
知人宅に行けると言ってきた。そして知人と私は話をして
女性を受け入れることとなった。

 そして女性が来てから私と一緒の生活が始まるのであるが
けしてうまく行っているとは言えない!数日は別の部屋に寝て
いたが、何とか一緒の部屋で寝るようにと知人の押しもあって
寝るようになったが、基本的に話をしてくれないのだ!
 日本語の勉強にと話しかけるがだめだ、知人の奥さんとその
兄弟とは楽しく話をしているのだ、日本語の勉強は部屋で
やっていると言うだけ、たまに挨拶を日本語で話すぐらいでだった。
そして散歩に連れ出し記念写真をとるにも嫌がってとらない
しまつだ!
 日本でいう戸籍を取りに行った時、喜んでいる様には見えない!
私は不安な状態となっていった。幸い戸籍は問題がなく安心した。
 私の滞在も残り1週間になったところで、キスまでは持ち込んだ
のだがそれ以上は進めなかった!状況が状況だけにこれ以上は
出来なかった!
 このキスをきっかけに彼女から注文をしてきたのだ、服がださい
とか髪型がおじいさんみたいとか言ってきたのだ、しぶしぶ洋服を
買いにいったり、床屋に行ってカットと髪の毛を染めるなど
やったのだ。そして帰ってきたら彼女が私の服を半分以上捨てる
と言って捨てしまったのだ!私のためだと思い、結婚するためだと
思い見ているだけだった。私は早く子供がほしいと願っていた事も
あり、どこか考え方や見方を誤ってしまったことは、この時は気づく
ことはなかった!

 そして帰国3日前に村へ食事だけと、行くことになり、友人と2人
で行く事となった。知人は行くことを拒否してしまったのだ、私は
心細く不安を抱えたまま再度同じ村へとむかったのだった。

 村に着くと前回と同じく村人の歓迎をうけたが人数は50人
程度と少なかった。食事をして親戚を紹介してくれた。友人の
弟が主導しており片言の英語で一生懸命話をしていた。
 内容は、この村は貧乏だとか、家を修理するのに3000PHP
掛かるとか、バイクの修理に500PHP必要だとか食事に
困っているなど訴えが多かったことだ!この日はこれで
終わり、無事戻ることができた。

 そして帰国当日、彼女が見送りに行くと言うので友人も一緒
にマニラの空港まできて見送りをしてくれたのだ。
 記念写真も撮ってくれたが、やはりあまりとりたくない様子で
あったことは間違いない。この時私は結婚すれば仲良く普通
になれると言い聞かせていたのだった。知人は次回来る時
まで安心はしないようにと念を押された。私が日本に帰国中
は知人の奥さんの兄弟が手続きなど書類を進める事になった
ので安心して帰国の途についた。

 日本に戻ってから事件は始まったのである。まずは毎日連絡
するはずのスカイプが繋がらないことが多く、しかも繋がっても
会話をしてくれない一方的に話をするだけ、質問も回答がなく
あきれたほどであった。知人の奥さんの兄弟に聞くと日本語の
勉強はしている様だと言うし私のことを愛していると言っている
というのだ!私はその言葉を信じるしかなかったと言うしかない
実はもう感じ取っている自分がいたし終わりにする勇気も
なかった事も事実である。

 そして彼女から要望が来た、親戚の結婚式とクリスマスと年末
が近づき一時村へ帰ると言うのだ。
 そこで結婚式は3日間とクリスマスも3日間までで年末は村へ
帰らない条件で、その都度戻ってくることを約束して一時家に
帰宅することを許し、同時に結婚に必要な書類を持ってくる事も
お願いした。
 彼女が村へ戻ってから3日後に戻らないと連絡が入った!
理由を聞くと母親が結婚に必要な書類を渡さないと言ってきた
のだ?!娘も戻さないと言うしまつだ・・・

 いろいろあったが要するに、結婚したければお金をくれ
と言うことだった!その交渉はフィリピンの友人の弟だった
のだ!バイクを直してほしい、トライスケールを買ってほしい
家を直してほしい、毎月の食費が欲しいなど言いたい放題
だった。この時点で結婚はないと私は確信した。
 こちらの条件を無視して、娘を人質にお金の要求に出てくる
と言う作戦に変えてきたのだ。

 友人の弟は前回の紹介についても絡んでいたので、まさに
日本人からお金を巻き上げる算段をして紹介をしたことは
明確であろう、女性たちは言われたとおりにしていただけで
結婚する気持ちは全くなかったと納得できるのだ。
 私は言ったのだ、約束を守らないので、結婚は破棄だと、女性
からはもう少し時間をくださいとか、愛していますとかコンタクト
があったが無視することに決め連絡はそれ以来していない。
 ただ知人の兄弟には私の様子をうかがう連絡が会った様だが
返答は結婚しないことを再度知人から告げており、その後連絡は
なくなったとのことである。

 正直、私はなめられてしまった事は確実である。
大げさに言えばテロリストにお金を要求されみたいです。
自分のあまさがお金と時間と友人、知人、周りの人たちに
迷惑をかけた事実だけが残ってしまいました。
 自分も情けない、悔しい、怒り、自信喪失などを味わい
人生の勉強をさせてもらったと言い聞かせるしかありません。

 皆様もこの話を読んでもらったのであればご注意して
フィリピンでの結婚、恋愛に参考にしていただければと
思っております。

 次の投稿はこの騒動の番外編の話もありますので
楽しみにしてください。
 一般的な投稿もしていきますのでそちらもお楽しみに!