こんばんは。

いつもブログを見ていただきありがとうございます。

6/28(木)発売の『MORE 8月号』に安室奈美恵さんの魅力が詰まっておりました。

 

こちらでは、

【MORE×AMURO Special】

の内容を抜粋させていただきましたので、

ご興味がある方はご覧いただけたらと思います( *´艸`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○MORE 8月号

[通常版]

[コンパクト版]

MORE×AMURO Special

安室奈美恵

~愛と情熱の日々~

本誌の初表紙は2000年3月号。そこから18年の長さにわたり登場いただいた永遠のミューズが9月16日、引退する。デビューから25年を超えても、そのビジュアルやスタイルはもちろん、踊ることと歌うこと、その生の姿を届けるライブにこだわってきたこと、そこが変わることは一度もなかった。その情熱の源泉に迫ったインタビューや本誌での軌跡など、最新で最高で最後の安室奈美恵をここに――。

取材・文/通山奈津子

 

 

 

ライブは毎回がベストでなければいけない

 J-POP全盛だった90年代中盤、彗星のごとく現れた安室奈美恵さん。パワフルで印象的な歌声を響かせながら茶髪に少し日焼けした肌、厚底ブーツでキレのよいダンスを見せつける姿に、私たちはあっという間に心を奪われた。街中に流れる歌声で、ビルボードで、CMで、彼女を感じない日はなく、多くの女性を熱狂の渦に巻き込んだ。

 あれから四半世紀――。今もその当時の熱はさめることなく、むしろ加速する中で26年目となる今年の9月をもって引退する。2月に名古屋でスタートした最後のドームツアー『namie amuro Final Tour 2018 ~Finally~』も、6月3日の東京ドームで幕を下ろした。このインタビューが行われたのはツアーの最中、3月の下旬のこと。

「今のところいい感じだと思います。いつもどおりスタンバイして、いつもどおりライブをやって、いつもどおり終える。ドームツアーは5年ぶりなので不安や緊張はもちろんありますけど、とにかく楽しもうという気持ちを第一に」

 

 ドーム、アリーナ、ホール、海外と、デビュー以来の公演数は740を超える。昨年のホールツアー『namie amuro LIVE STYLE 2016-2017』は自身最多の全国40都市、100公演にも及んだ。MCなしで2時間半以上を踊り、歌い続けるというスタイルはもはや語り継がれるほどになった。

「ライブはファンの方と会える唯一の場所だから、何よりも大事にしたかった。どんな空間をつくればいいか、どんなセットリストにすればいいかをひたすら考えるのは、いつも大変だけど楽しい作業でした。なかでもドーム公演は、大きな空間をどう埋めるべきか毎回頭を悩ませましたね。会場全体にきちんと伝えられているのかという不安も桁はずれで。また、暗転したステージでバラードを歌っていると、じっくり聴いてくださっているからとはわかっているけどその静かな感じに、『ここにいるのは私ひとりだけなのかも……』なんて錯覚をしてしまうくらい、心細くなってしまうんです。だから会場問わずバラードは苦手で(笑)」

 

 しかし、これだけのライブを積み重ねてきた安室さんでも「毎回のプレッシャーは相当なものだった」と語る。

「初めてステージに立った時はグループだったから、そういう気持ちはメンバーとアイコンタクトを取ることで解消できる部分が多かったんですけど、ソロになってからはすべてをひとりで背負わなきゃいけなかったので。でも、やるしかない。だから、今でも緊張がピークに達している1~2曲目の間にみなさんのパワーに慣れようと必死でした。それに、やるからには前回より、“今回のほうが”よかったねと常に言ってもらいたいし、私にとってはたとえ100回のうちの1回でも、お客さんにとっては人生でたった1回のライブかもしれない。だからこそ1回1回の重みがさらに緊張に追い打ちをかけるんです。『今日失敗したらどうするの!』って。逃れられないけど走って逃げたい、そう思うことも正直ありました。だからライブの後は、達成感はあっても完璧にできたと思えることはあまりなかったです。できたらできたで、その日と同じようにやればいいかというとそれも違う。毎回パーフェクトな結果を出せていたら自分も進化しない。常に課題があってそれをどうクリアするかのほうが大事だと思うので。苦しいですよ。でも、お客さんが喜んでくれる姿や終わった後の達成感にはかえられなかったんです」

 

立ち止まると

数字に出ることを

思い知った

 ツアーでもリリースした楽曲でも安室さんの歴史には常に記録が伴う。シングル『CAN YOU CELEBRATE?』の229・6万枚は「女性ソロアーティストのシングル歴代売上1位」としていまだ破られていない。そのほか、「シングルのミリオン獲得数、通算5作はソロアーティスト歴代1位タイ。」アルバムは、10代から40代の「4年代連続ミリオンを史上初めて突破」するなど、枚挙にいとまがないほど数々の偉業を成し遂げた。

「ソロになった頃から、数字はよくも悪くも、いつも出さなきゃいけないという気持ちでやってきました。それが一緒にお仕事をしていただいている方たちに対しても恩返しになると思うので。だけど、結果を出せた時ほどその次が大切になってくる。『やった!』と喜ぶより先に、いつもこの次、また新たな結果に結びつけていくことを考えていた感じです。また、ソロになってからは毎年ツアーをやっていたんですけど、産休明けの時、気持ち的にいっぱいいっぱいだったので1年間ツアーをお休みしてしまったんです。それで翌年にまたツアーをしたら、それまでより少ない動員数と公演数になってしまって。その時に『私は一度でも立ち止まると如実に数字に出る。それを取り戻すには2~3年かかってしまうアーティストなんだ』ということを思い知ったんです。そこからは、毎年必ずツアーをやってきました。前回よりさらに進化したものになるよう、工夫しながら挑んできたつもりです」

 

 

 

キツイからやめることは

いちばん簡単なことだった

 そんな日々の中に、かつて本誌12年8月号のインタビューで、「特に悩んだ、ターニングポイントの時期だった」と語っていたモア世代の20代後半があった。

「いろんなことに悩んで、不安ばかりの時期でしたね。自分で決められることも増えていたけれど、それで結果が出せないと『向いてないのかな……』と思ったり。言い逃れができない30代にさしかかるのに、20代の今、その足固めができているのかと思うと自身もなかったし、大きな決断をするにも、その責任を果たして自分で背負うことができるのか、とか。好きなことをやらせてもらっているのに、悩んで、迷って、つらくなって……心がギュッと締めつけられてさらに苦しくなっていきました」

 

 そんな境地を救ったのは、“どんな時も楽しむ”という気持ち。

「“楽しまなきゃ”っていう気持ちを持って28~29歳くらいを過ごしていたら、つらいことも息苦しくなくなったんです。一生懸命考えて考えて取り組んでも、いい作品が必ずできるわけじゃない。ただそこに楽しむことを加えたら、いい作品も生まれるし、生み出すつらさも意外に楽しくなったのかもって今は思えます。これは30代以降に最も生きた20代の経験でしたね。キツイからやめようと決断することは、私にとっていちばん簡単なこと。“今逃げたら悔しいからどうにか乗り越えてやる!”みたいな性格だからかもしれません。でも最大級につらいことだって乗り越えれば、この先また新たな壁にぶつかった時、その経験がきっと役立って踏ん張れるはず。

 あと、人に相談するのも大事なんですよね。生きていくうえで1人や2人、自分をさらけ出せる人を持つことって絶対的lに必要。私は幼い頃から意地を張ってずっとひとりで抱え込んでしまうタイプだったので、ため込みすぎて大爆発! みたいなこともあったんです。でも20代後半で、人に悩みを聞いてもらったり頼ったりすることができるようになってから、少しずつ肩の荷が下りて気楽に解決方法が浮かぶようになりました。自分が経験していないことは人から教えてもらうしかない。恥ずかしくても自分以外の目線でアドバイスをもらうと、『え? こんな考え方や方法ってあったの?』って驚いたり。つらさは一緒でも確実に前に進むことができるから、ひとりであれこれ気持ちをめぐらせるよりずっといいんです」

 

 

 

“安室奈美恵みたいになりたい”は素直にうれしい

 思えばいつの時代も私たちのミューズであり、憧れの女性だった。数々の記録で音楽シーンの歴史に名を刻んだだけではなく、唯一無二の歌とダンスは、私たちの記憶と思い出にかけがえのない彩りを与えてくれた。その時々で彼女が下した決断に女性としての生きざま、覚悟を見せつけられた。彼女自身が音楽やダンスを始めるきっかけになったジャネット・ジャクソンに「今も憧れています」と言うように、私たちの“安室奈美恵”への憧れや愛もこれから先、色あせることはないだろう。

「もしそう思ってくださるならとてもうれしいです。そういえばデビューした頃、『どんなアーティストになりたい?』とよく聞かれたんですが、『私がジャネットのようなアーティストになりたいと思っていたように、私を見て安室奈美恵みたいになりたいと思ってもらえるような歌手になりたいです』と、常に答えていたので(笑)」

 

 モア読者へのラストメッセージは“楽しみながら夢を追いかける気持ちを忘れない”こと。

「20代後半はいろいろなことがリアルになってくる年頃。でも人生は一回だけだから、思ったことをやるのは今しかない。どんな小さな目標でも夢でもいいんです。それがある人とない人とでは大きく人生が違うはず。昨日より今日の自分。常に楽しいことを見つけながら、夢に向かって頑張って突き進んでほしいです。

 私自身が女性としてこれからも大事にしていきたいことですか? “私はこういうふうに生きていきたい”という自分の意見を常に持って、ブレずに、ゆっくりでもいいので前に進んでいくことです。それで好きなものを食べて、好きな服を着て、好きなようにメイクして……まわりに惑わされずいつも私らしくいられたら」

 

 最後にふとこんなことを聞いてみた。今後、もし街で見かけたら声をかけてもいいですか?

「もちろん! ぜひぜひ(笑)」

 キラキラな笑顔を輝かせた。

 

 

 

 

 

MOREと

AMUROの18年

今年創刊41年のMOREの歴史の中でも安室奈美恵は特別な存在である。女優・モデルが中心の本誌の表紙で、女性アーティストが、そして、20代から40代と3年代にわたり表紙を飾ったのは彼女だけ!!テレビはもちろんライブでも多くを語らない彼女だからこそ、その言葉はいつも、まっすぐで力強く(ときにチャーミングで)読者の心に響いていた。そんな歴史に残る言葉と写真を、ここに刻んでおきたい。

取材・文/本誌編集部

 

 

 

私にスウィートさは

ないですね

[2008年9月号より]

“カッコかわいい女性”のイメージがある安室さんに「自身の中でスウィートな部分は?」と質問するとこう断言。

「特に日常的に着る服にはスウィートさを感じさせる部分はないですね。ただ、こうした雑誌の撮影で、いろんな服を着させてもらっている中で、甘めの色やアイテムも着られるんだって感じることがあって、それは楽しんでいます」

 

売れないのは私の責任だと感じて

『沖縄に帰ろう』って何度も思った

[2012年8月号より]

この号の取材はデビュー20周年の時。そのため20年間の歩みを深く振り返ってくれた。印象的な言葉が多かったが、そのひとつがこれ。

「小室(哲哉)さんのプロデュースは私の転換期のひとつ。ずっと目標にしていたヒット曲を出すことができたし、初めてチャートで1位を取ることもできましたから。……というのも、実はデビューしてからしばらくはヒット曲に恵まれなくて。売れないのは私の責任だと感じて『沖縄に帰ろう』って何度も思ったんです」

 

トレーニングすればするほど

ライブでできることの

幅が広がっていくんです

[2010年5月号より]

ライブへの飽くなき挑戦の一例として、取材当時、2年前から始めたトレーニングについて語ってくれた。

「ライブ中に上がった心拍数を早く下げるトレーニングなどを実践しているんですが、かなり効果がみられるんです。たとえば1曲5分間歌って踊った後でも、呼吸を整える時間が短くなって、すぐに次のバラードが歌えるようになる」とのプロの言葉に感嘆。

 

 

 

お互いがいいものを作りたい

一心で向きあっていれば、

衝突するのは当然

[2010年5月号より]

20代に入り、やりたいことを主張するにあたって、ときにスタッフと衝突することもあったという安室さん。「ただ、それも必要な経験だった」と振り返り、語ったのがこの言葉。そして、「それでお互いに何を考えているのか理解しあえるんだったら、私は勇気を出してぶつかったほうがいいと思うんです」と続けた。

すべての働く女子たちにも強く響く言葉だ。

 

過去を変えたいとは思わないし、

悩み抜いた過去があるから今がある

[2012年8月号より]

「デビュー当時の自分に声をかけてあげるなら?」の質問に「何も言わなそう。もし20年前、今のようになることを知っていたら、もう少しラクな道のりを歩けたのかもしれないけど、同時に、未来がわかって、違う自分になっちゃってるかもしれない。努力を怠って、こうして20周年を迎えることができなかったかもしれない」と答え、最後にこの言葉をつむいだ。

 

 

 

誰かと比較することじゃなく、

自分自身が納得できるかどうかこそ、

私のモチベーションだからです

[2010年5月号より]

まわりを納得させる結果まで到達したあとも、なぜ“挑戦者”として戦い続けることをやめないの? という質問への回答がこれ。続く言葉もまた名言!

「それと同時に、必死にトレーニングをして、リハーサルを繰り返して準備万端で臨んでも、私が思い描く理想のパフォーマンスに完全には到達できない、ということもわかってる。もし、理想に到達してしまったら、歌や踊りへの興味が一気になくなってしまうと思うんですよね」

 

私にはそのビデオテープ

しかなかった。だから、

夢を絞り込めたのかもしれない

[2012年8月号より]

沖縄でレッスンしていた頃、ジャネット・ジャクソンのライブ映像に衝撃を受け、すり切れるまでそのビデオテープを観ていたことは有名な話。

「彼女に夢中になれて、迷うことなく、“歌と踊りでやっていきたい!!”と思えたのは、今のようにインターネットがない時代に育ったから、というのも理由のひとつかも。私が10代の頃は、今みたいに情報が飛び交っていなくて、私にはそのビデオテープしかなかった。だから、夢を絞り込めたのかもしれないですね」

 

 

 

 

 

LAST MESSAGE

from AMURO

モア世代は、いろんなものがリアルになってくる世代。現実的に生きていくための問題や悩みも出てきます。それでも、人生は一回だけ。思ったことをやるのは今しかない。どんな夢でもどんな目標でも、大小に関係なく持つことはやはり大切なので、その夢に向けて頑張ってほしいです。そして、何より楽しむことを忘れずに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、

『MORE 8月号』より抜粋をさせていただきました。

他の内容等気になった方は、ぜひお手に取ってその目で体感してくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは失礼致します|∀・))))