日経新聞に連載されてた渡辺淳一氏の作品の「愛の流刑地」

大ベストセラーになったんだそうですねぇ・・・


私は読んでないのであんまり内容は分からないけれど「大人の純愛」を描いたものらしく、37歳で3人の子供をもつ人妻と55歳の作家が恋愛関係に陥りながら官能的な時間を過ごし衝撃的なラストを飾るのだそうだ・・・

氏いわく「肉体関係がない、精神的なつながりだけの愛が純粋だと思いこむ。だがそれは単に未熟な幼稚愛にすぎない。精神と肉体と両方がつながり密着し、心身ともに狂おしく燃えてこそ、愛は純化され、至上のものとなる。 」と。


この定義もなんだか不思議な気がするんだけれど・・・(^_^;)

きっと誰かのものでない独身女性にならこれほどの想いは感じないんだろうなぁ・・・

また男が女の自分好みに変えたいという願望も相変わらずだなと。(笑)

古くは源氏物語からですからねぇ。

純愛の定義ってよく分からないけれど心中するところまで行かなければあるいはどちらが死を迎えることでしか完結しないものなんだろうか。

美しい幻影が純愛だとも言えるのか・・・


この物語にハマったおじさま、おばさま方もたくさいいると聞く。

ある種の憧れ、ある種の願望・・・

でも意外に男も女もタフだ。

たとえ不倫あるいは恋愛をしていても必ず上手にリセットして次に進んで行ける。

そうでなければ生きていられないのだから。

記憶さえもリセットしてしまうのだから。


個人的にはよくもまあこれほど複雑な関係やしがらみを望むものだと思ってしまうが・・・

肉体の歓びと心の喜びが同時進行であることは確かに最高の関係かもしれない。

セックスレスな関係が増えていて危険だなんてマスコミは話題にしてるが「ファッショナブルで満たされた男女関係」なんて滅多にないしどちらかと言えば泥臭い関係じゃないかと思う。

だからこそ夫婦になって安心感が生まれるではと。

純愛関係を追求した最後が「死」でしかないなら、それはちょっと本末転倒な気もする。

どんな関係にも普遍的な形などない。

例え愛する人のために死んだとしても純愛かどうかはその二人のそれまでの生き方やふれあい方で決まるのでは?

結局純愛という形にこだわっちゃうと本当の関係が見えなくなっちゃいそうな気がするのだが。