今年の3月11日、東日本大震災から11年目になりました。


 数多くの方々が亡くなられて、残された方々も苦難の日々を耐えて来られた事と存じます。家を流され、家族を失い、心に傷を負い、悲惨な目に遭われた方々の心情を思うと、自然に掌を合わさずにはいられません。


 私はクリスチャンではありませんが、再臨のキリストはまず最初に、苦難の人生を歩まれた方々を救済してくれると『聖書』に書いてあります。



 私は『聖書』の中でも、『山上の垂訓』が大好きです。映画「リーディング」のクライマックスで、インディアン・フルートの奏でる「ローズ」をバックに朗読される『山上の垂訓』の一句一句が心の琴線に触れたのか、胸がいっぱいになって涙が止まりませんでした。


 おそらく人間は、魂が共鳴して感動につつまれたときには、胸が震えるようにできているのだと思います。







 『山上の垂訓』には、天国に入れるのは、何かしら苦難に遭い、心に傷を負った人々である事を連想させる言葉が並んでいます。



 それどころか、満ち足りた人は天国に入るのが難しいと思わせる文章が続いています。




 『聖書』から引用してみましょう。




マタイによる福音書 5 (新共同訳)



3「心の貧しい人々は、幸いである、

天の国はその人たちのものである。


4悲しむ人々は、幸いである、

その人たちは慰められる。


5柔和な人々は、幸いである、

その人たちは地を受け継ぐ。


6義に飢え渇く人々は、幸いである、

その人たちは満たされる。


7憐れみ深い人々は、幸いである、

その人たちは憐れみを受ける。


8心の清い人々は、幸いである、

その人たちは神を見る。


9平和を実現する人々は、幸いである、

その人たちは神の子と呼ばれる。


10義のために迫害される人々は、幸いである、

天の国はその人たちのものである。


11わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。


 12喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。




テモテへの手紙二 3



12キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。


 

 太字部分の人々は、果たして幸福な人たちでしょうか。それでは、次の文章はどうでしょう。



マタイによる福音書 18



23「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。


 24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 




 『聖書』の言葉を考えながら、ケイシーリーディングを見ていくと、同じような言葉に遭遇します。主に選ばれる人は、決して幸福な人生ではないと思われるリーディングです。





主が述べられたように、汝らは、皆、主に仕えるべく召されているのである; ある者たちは、ここで、犠牲を捧げる為であり、又、別のある者たちは、別のところで、苦難を経験したり、或いは、失望に見舞われたりするかもしれない。


 しかし、もし、汝の 願いが主の願うところとひとつであるなら、主は、汝が、召命に預かっていることを成し遂げようとする時に、汝の妨げになるようなことが起きてくるなら、 - - - それが、この世的な障害であれ、目に見えない力の働きにおいてであれ 、 - - - 汝を、それらから守られるであろうと約束されておられるのである。(262-70)



リーディングで述べる「主の召命に預かる者」は、決して幸福な人生ではない事が伺えます。ある者たちは「犠牲を捧げる為」「苦難を経験する為」「失望に見舞われる為」に今世で生を受け、それにもかかわらず、「主の願い」に同調して自分自身を水路、あるいは道具として、何かしらの働きをするであろう方々である事が分かります。



人生は、自分で選択した結果だと言われています。この人たちは、再臨の時に合わせて「苦難の人生」を選択し、「神の計画」の成就のために働く決意をなさった偉大な魂を持つ方々である可能性が高いのではないでしょうか。


読者の中に、つらい人生を歩んで来た方がおられたならば勇気を出して下さい。あなたこそ「選ばれた方」なのかも知れません。




聖書もケイシーリーディングも同じ事を語っているのを分かって頂けたと思います。







さらに、分かりやすい言葉で「聖なる計画」の存在と、その計画へ加わる方法を説明してくれるマスターがおられます。それが、「シルバーバーチ」です。


この本は、ケイシーの言う「祝福の水路」の意味を教えてくれた、大切な本です。しかも、ケイシーの教えの根幹である、「愛に基づいた生き方(奉仕)とは何なのか」について納得させてくれました。


つまり、自由意志を自分以外の人を幸せにする事に使いなさいと説くのです。


ケイシーリーディングで「祝福の水路」になりなさいと繰り返し説いてきた意味が、知識としてだけでなく、霊的にも理解できるようになるのではないでしょうか。


次に紹介する動画では、ケイシーが主張し続けて来た人類の本来の生き方を、そして分かち合い、祝福の水路となる唯一の方法が他人への奉仕である事を、分かりやすく教えてくれています。







 さて、シルバーバーチは神のことを「大霊」と呼んでおります。それでは、神、あるいは大霊とは何でしょうか。


 私は今まで、いろんなスピリチュアルのお話会などに参加して、気が付いた事の一つが、神の概念が人によってバラバラであると言う事です。


 スピリチュアルな関係の知識は非常に豊富だけれど、肝心な「神」と言うものを把握できていないと感じています。


 近いなと思うものが「神」は「愛」と言う説明でしたが、そう言っている本人が「引き寄せの法則」を使って金持ちになるワークショップをしている。

なんとなく違和感を感じていました。既に金持ちになった自分をイメージして引き寄せるワークショップ。教えの中には、先ほどまでくどいほど言っていた「愛」が全く出てこないワークショップ。生徒よりも先生の方が「金」に執着している人にしか見えない。そんな経験から私は「引き寄せの法則」を嫌うようになりました。



 しかし、神智学を学び始めてすぐに「神」とは何かを知りました。


神智学の書物には、はっきりと「意識ある大生命」であると書いてある。しかも、人間に把握できる域を超えた存在であるので、神の顕現としてしか認知出来ない。そのため、神の働きを顕現している「太陽司神」こそが神の一側面であり、「この太陽司神こそが、われわれ人間にとっての当面の神なのである。」とあります。


 

 こうした記述を理解した上でないと、ケイシーのリーディングを正確に読み解くことはできないと思います。


そうして考えてみますと、ケイシーが「自然から学べ」と言っていた真意が分かります。



確かに自然の中で、地球上のすべてのものは太陽によって生かされています。雨が降るのも風が吹くのも植物が育つのも、すべては太陽の恩恵です生命の源は太陽にある事に気付きます。



さらに神智学では、人間の起源をはっきりと語っています。








 神智学大要は、第一章から「神」の解説をもって始まります。その箇所を抜粋してみましょう。



神智学大要 (出版新社) 第一巻 第一章より抜粋


第一章 神の三つの働き


一、無数の星辰を擁する宇宙は意識ある大生命(1)の顕現である。この唯一大生命、この宇宙神(うちゅうロゴス)は常に一体者である(2)。しかし宇宙にエネルギーを与えるにあたって、宇宙神は三位一体(3)としての、三様の働き方をする。

 

[訳 註]

(1)  キリスト教徒はゴット(神)、ヒンズー教徒はイシュヴァラ、ゾロアストリア教徒はアフラ、マズダ、回教徒はアッラー、神智学徒の宇宙ロゴス


(2)  一般的にゴッド(神)という言葉には「人間と同じ形や心」を持つ存在という考え方が伝統的に定着しているので、それを否定するためにも、神智学ではロゴス(Logos)という言葉を用いる。


(3)  ヒンズー教では、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌー、破壊神シヴア。キリスト教では父なる神、子なる神、聖霊なる神。他の宗教においても同様。


ニ、宇宙神(うちゅうロゴス)の宇宙におけるお仕事に七柱の司神(ロゴス)方が関与される。この方々を七宇宙惑星司神といい、いずれも宇宙神の御性質の化身である。宇宙のあらゆる星々(その一つ一つが膨大なる進化系の中枢である)は、これらの七柱の司神方のいずれかに属し、ある意味ではその御生命の表現である。それはちょうど七柱の惑星司神が宇宙神という唯一生命の表現であるのと同じである。(中略)


三、この膨漠、荘厳なる宇宙生命の中に、われわれの太陽系の主である、太陽司神がまします。太陽司神は一個の星として、また無数の星の中の一系統の主として、その父なる星(前記の七柱の偉大なる星の一つ)の中に「生き、動き、かつその本質を有する」。同時に彼は宇宙神の生命と光と栄えとを直接に反映する。この太陽司神こそが、われわれ人間にとっての当面の神なのである。後述によって明らかになるように、実はわれわれ人間は太陽司神に根差しているのであり、われわれの本質は彼、太陽司神であり、父なる太陽司神は子なる人類のその本性の展開を、父なる神のみ許へ帰り来たる日を、辛抱強くも待ってい給うのである。


四、「上の如くに下もまた然り」。宇宙神と同じように、太陽司神もその太陽系にあまねくエネルギーを注ぐにあたっては、三位一体として、すなわち三つの基本的な様式で働き給う。現代神智学では、この三様、三位一体のお働きを、それぞれ第一ロゴス(父)、第二ロゴス(子)、第三ロゴス(聖霊)という。第一ロゴス、第二ロゴス、第三ロゴスは、いずれも同一の太陽司神の三側面である。顕現(あらわ)れ方、働き方は三様であるが、本来は常に一柱、不可分の同一神なのである。


五、「上にあるが如くに下もまた然り」。太陽ロゴスのお仕事に七柱の御存在が携わっておられる。このお方々を七惑星司神(1)といい何れも太陽ロゴスの御性質の表現であり、太陽ロゴスの尽きることなき生命の媒体である。


[訳 註]

(1) ヒンズー教では七プラジャーパーティ(被造物の主)、ゾロアスター教では七アメシヤ・スペンタ(不滅の聖なる者)、ユダヤ教とキリスト教では「神の玉座の前の七み霊(たま)」という。


 これらの七惑星ロゴスのエネルギーが、太陽系内で起きるあらゆる出来事を統御し、さしずしている。各惑星ロゴスはその指揮を受けて、太陽系の形成と維持とに携わっている方々より成る聖職同胞団(職権集団ともいう)の首長であり支配者である。その下にはデーヴァ(原義は「光り輝く者」)方が位階をなして連なっている。


六、 太陽ロゴスはその三つの側面を通じて働き給う。いいかえれば、三様式の働き方をされる。その基本的な特徴は次の通りである。


(一)  第一ロゴス  神性ー人類


(ニ)  第二ロゴス  生命ー形態


(三)  第三ロゴス  力 ー質料


 太陽ロゴスが太陽系のお仕事を始める前に、彼は『神の心の世界』の中で、未来の(始めより終わりまでの)太陽系となるべき原型を創造し給うた。かつまた、力、形態、感性、想念、思想、直観(以上すべて複数)であらゆる原型を創造し、それがいかにして、かついかなる進化段階をへて実現すべきかを定め給うた。


(以上、神智学大要から抜粋)



  • このように「神智学」において、我々にとって、「真の神」は人間にとって把握することは不可能であるけれども、宇宙神の御性質の化身である太陽が、人間にとって当面の「神」であると言うのは、まず最初に学ばなくてはならない大前提であります。


  • 私は「神」のお働きの、目に見える一側面が、太陽として顕現していると理解しています。




 私にとっては、この「神智学」に出会った事は画期的な事であり、これがスタートラインであったと思います。


アリスベイリー、ベンジャミン・クレームへと「教え」は継承、発展しており、ケイシーの主張する様々なリーディングとも、また、シルバーバーチやホワイト・イーグルのようなチャネリング情報、さらには私が省略して来た宇宙の同胞団の情報とも一致しています。


ケイシーにもたらされた、キリストの再臨も「神智学」の教義にあります。


『聖書』を始め、ケイシー、ポール・ソロモン、シルバーバーチ、ホワイト・イーグル、日月神示、生長の家、アマーリエ等々、本物は皆「神智学」にある教えとほとんど変わりません。


この「教え」が本物である限り、ケイシーの言うように、自分の周りの他人に何かあったら、即座に助けてあげる決意をした人であるならば「神の恩寵」を受けるに相応しい人になります。身体を構成している物質的細胞は、徐々に光子を基本材料とした細胞に変化して行き、山上のキリストのように光り輝く不死の身体を手に入れる事になります。


二千年前にイエスの弟子たちが『聖書』に記した「永遠の命を得る」とは、まさにこの事を表現していたと言うのが真相です。


「神智学」を学び始めて早い時期に、この事に気付いたのですが、さすがに世間の常識とかけ離れているため口に出すのをためらっておりましたが、学習が深まって行くにつれ強い確信に変わりました。


私たちは皆、太陽のように分け隔てなく光を分け与えるために地球にやって来た、太陽の申し子であります。光の当たらないところへ光を届けるのが本来の役目です。