いきなりの音楽で皆さん驚かれたことでしょう。「秘密の教え」には、いろんなものがあるのですが、人は常に良いバイブレーションに包まれることで自分を調整することが出来、またそうすべきです。細胞までをも同調させ、自分の周囲に良い影響力を放つことができるのです。その反対に、バイブレーションを失ってしまうと、外からの不調和な周波数の影響を受けて、負けてしまうことがあります。この教えを身につけた弟子たちは皆、頭の中を空っぽにする事はありません。思ったり考えること自体がバイブレーションであり、禅定に入る人は、「無」になるのでなく「意識の集中」に入るのです。もしも、あなたが頭を空っぽにする習慣があるのなら「有害」な影響力にさらされて危険な状態になることを覚えておいてください。近いうちにブログにて、その理由をお話しするつもりでいます。それでは本題に入りましょう。


 

前回のブログにて、私たち人間の抱えるすべての苦しみの元である「原罪」について考察したつもりでしたが、いかがでしたでしょうか。ケイシーの答えは「自己である」だったのですが、私のような鈍い頭には雲を掴むようなイメージしか浮かばなくて、分かったような分からなかったような、とても人に説明できないなと思っていたのですが、ポール・ソロモンさんの説明のおかげで何とか輪郭が見えてきたという気がしています。

 

今日皆さんにお伝えしたいのは、我々人類が次々と物質(肉)に捉えられていく様を見て、仲間を救出する決意をした魂たち、ホワイト・ブラザーフッドとはいったい何者なのかということです。

 

彼らは、肉に囚われ次第に「堕落」して行く人間たちを憂慮したアミリウスによって授けられた「調和がすべての法則である」という「一の法」(ワンネス)を固く守っていこうと決めた集団でありました。エドガー・ケイシー文庫「魂の進化」にはこのように書かれています。

 

法を守っていくために神官職が確立されたのもこの頃のことである。当初は白いターバンを巻いた団体だったが、のちに両性具有の娘たちが巫女として認められ、「光の子ら」は光の「白い教団」として知られるようになる。これらの伝授を受けた賢者たちには思考や肉体を転送する能力があったとケイシーは言っている(364-4)。

 

彼らは、自らが輪廻転生に巻き込まれてしまう危険を顧みず、人類を神へ帰還させることを願い、我々と同じように肉体を纏って地球に降り立った方々である事をケイシーは語りました。ポール・ソロモンさんの講義は、白色同胞団から見た人類のありさまを実にうまく説明していますので、私たち人間が、私たち自身とは何なのかという根本的な「謎」を理解するには最適な資料となるに違いありません。



 

           




 

[「ワンネスを生きるホワイトブラザーフッド」(ポール・ソロモン著 高橋恵美訳 松本ひろみ監修)より転載]



 

 さて、これがホワイト・ブラザーフッドの誕生のポイントである。それはそのようにして生じたのである。物質との一体化の時期に、二種類の魂があった。聖書はそれらを神の息子たち、および人間の子供たちと呼んでいる。その本質的な違いは次に述べるが如くである。自分自身のために神の現れのために乗り物を創った存在たちがいる。それをわかりやすく描写するには、次のようなことが起きたと想像するとよいだろう。 

 

 もし私が地上で表現したいと思い、神の子たちもまた肉体の中で表現しようとしているとする。そして私は大地が提供するあらゆる利点がほしい。私は海、そして水の下の生の美しさに気づいており、また飛ぶことにも興味を寄せている。しかし、また私は地上にいて花や動物たちと共にいる体験をほしいが、またあなたよりも大きくなることも望んでいる。

 

 これらすべてを心に置いて、私は大地を体験できる身体を自分のために創造する。さて、私はあなたよりも大きくありたいので、それはとても大きな身体となる。水の中を進みたいので、水かきとヒレがある。しかし、私は空をも飛びたいので翼もある。樹木のてっぺんの上も見たいので、長い首もある。だから私は中国の竜のように見える。人はどう思うだろうか?自分自身のために、大地、空気、水など一般に生物がこの次元で住むことのできるエレメントを体験できるような身体を創造した。

 

 そしてその身体の中にいる私はいまや身体に魅惑されてしまっている。身体を使ってやることがとてもたくさんある。私は細胞が絶えず入れ替わるようにしなければならなかった。循環システムを絶えず働かせねばならない。神経も働いている必要があり、それらすべてが働くために私は身体の意識を発達させる必要があった。そして私は身体にとても魅惑されてしまい、身体の外にいる能力を失ってしまった。肉の中に囚われ、肉の中に閉じこめられ、身体の感覚を通じて情報を受け取るようになった。残念なことに、物質の中に自らを投影している者たちの中にはそのような体験をし、実際に肉の体に囚われた囚人となってしまった。そして彼らのなかには先ほど描写した恐竜のように愚かなものもいた。それ以外の者たちはもっと人間らしい姿で、そのなかに自らが入っている。

 

 さて、他の現れたち、同じ身体のなかの他の細胞たちは実際に起きていることを見始めるようになった。彼らは自分たちの一部が物質の中に囚われてしまい、本来の自分自身を忘れ、自分たちが神であり、あるいは神の側面であることを忘れてしまっていることを認識し始めた。それらは物質に囚われてしまい、自分が何であるかがわからなくなっている。それらは自分が動物であると考えた。なぜなら動物と同一化してしまったからだ。それ故、「私はこれであり、これだけを体験する」と言い始めるようになった。

 

 まだ神の中にいる、神と共にいる者たちは、それを見てできる限りの方法でそれらに呼びかけようと試みた。身体の中を通って、彼らの内部のフィーリングを刺激しようとした。彼らに呼びかけて交流し、彼らに触れ、彼らの注意を引こうと試みた。しかし彼らは、つまり、そのように試みる者たちはひとつの次元におり、肉に囚われている者たちは別の次元にいる。そして最後に次のように決心した者たちもいた。「私は自分自身のために一つの身体を作り、彼らの感覚、彼らの肉を通じて彼らと交流しよう。それによってもう一つの命があることを知らせ、本来の姿を思い出させよう」と。


 

地上における二種類の存在


 

 さて、これらは当時地上に存在していた二種類の存在たちである。一つはすでに生まれていた動物の体に自分を現した存在と、あるいは自分が創造した身体に自分自身を現した者たちであり、彼らは肉体の中に囚われてしまい、肉という感覚の中に閉じ込められてしまったのだ。

 

 さて、今この時点で、あなた方のために非常に重要な質問がある。これはあなたの現在の状態をどれだけ物語っているだろうか?

 

 もし、その問いについて真剣に考えれば、それは重い問いとなるだろう。なぜなら、もしあなた方が本当に神、神の子供たち、神の息子たちであるなら、なぜあなた方は神のすべての側面、属性と共に考えることをしないのだろうか?なぜあなた方は神であるという偉大な感覚に相当するほど創造的ではないのか?なぜ神の体とひとつであることに気づいていないのか?なぜ肉体の五感だけに制限されているのだろうか?

 

 ホワイト・ブラザーフッドの偉大なイニシエートであるマスターは次のように述べた、「肉から生まれでたものは肉である。霊から生まれ出たものは霊である。あなた方は再び生まれてくる必要がある………最初に出てきた本来の姿の中に」

 

 さて肉の中に閉じ込められていると我々が述べた者たちは、肉の中で獣の印の下にいるものたちである。獣の体の中におり、五感をもつ獣的存在である。肉の感覚が彼らを支配している。彼らは獣などにコントロールされている。以上を考えたとき、我々はどこにいるのだろうか?

 

 それゆえ重要なのはそれらの人々、「年長の同胞たち」である人々である。「私は肉の体の中に入り、偉大な教師として彼らに呼びかけて交流しよう」と述べた彼らは、いまだ神の一部なのだろうか。

 

 当時、進化の過程のこの時期に、偉大な知性の持ち主たちが寺院を築いたり、偉大なピラミッドを築いたりして、人間の間を歩いていたという証拠がある。空を飛ぶ船、当時の人々が知らなかった道具などに関する物語、絵、文書などがある。当時、極度に異なった進化のレベルにあった二種類の人々が存在していたという証拠がある………高度の技術を持つ非常に高い知性の持ち主で、科学、物質とエネルギーの関係などに気づいていた人々がいた一方で、同時に、非常に原始的な人間、非常に原始的な動物たちが存在した。その当時、明らかにそのような状態であった。

 

 神の息子たちにとっては、人間の息子の意識に目覚め始めることがとても重要となった。さて、人間の息子は実際に一度オリジナルの身体から取り除かれたことがある。つまり、二つの生き物が一緒になって、三番目の生き物が誕生したことを意味する。そして肉に生まれた三番目のものはさらに囚われてしまい、親たちよりも一層そのオリジナルの存在から離れてしまった。それらは人間の息子たちであった。しかし、興味深いことには、神の息子であり、決意して自ら物質の中に入った者たちのなかには、聖書によれば、人間の息子たちの仲間に加わったものもいた。その結果、他人を教えるという目的を持って入ったにもかかわらず、彼らは囚われてしまい、彼ら自身も堕落してしまった。愛人よりも愛人からの贈り物に魅惑されたからである。以上が「年長の同胞たち」および彼らの目的である。

 

 「年長の同胞たち」は一度肉体の中に入り、人間たちと共に生きるようになると二つの異なった方法で反応するようになった。ある者たちはそこで生きることを楽しみ、そのために彼ら自身も物質のなかに降りた。他のものたちは動物の体に閉じ込められてしまった不幸な人々が進化成長できるように、全エネルギーを使って能力その他を伝えようとした。



 

人間を上昇させるためにおぼえておくこと


 

 それら元々の「年長の同胞たち」は儀式、メソッド、教えのための方法など、若い人々に本来の姿を思い出させるための手段を考え出した。彼らはグレート・ホワイト・ブラザーフッドと呼ばれる同胞団を形成し、その目的はこの我々の時代に高次の意識へと人々を導くことである。同胞団が存在する唯一の理由は、人類の意識がそれらのミステリー、つまり神秘の教えを受け取れるようになったときに、深いミステリーを利用できるようにするためである。それゆえ、それら成長の低い段階にいる人々を助け、それらのミステリーへと導くことが彼らの仕事の一部である。

 

 彼らの仕事には様々な側面がある。いまだあまり成長していない人間にできるだけの理解を与え、より大きな理解力を発達させるようにし、好奇心を刺激し、偉大な教えを守り、保存し、人類がそれを受け取る準備ができるようになるまでそれらを秘密にしておくこと等である。それらすべてがホワイト・ブラザーフッドの目的である。

 

 彼らは我々が後半で見ていくメソッドを使用した。そして人類の進化に影響をもたらすことによって歴史に影響を与え、我々が触れたような歴史のなかの特別なポイントに到達できるようにした。

 

 私が述べている描写、つまりホワイト・ブラザーフッドおよび人類の進化を説明するために私が描写している内容は、文字どおりそのように生じたというものではない。私はあなた方に対して、理解する助けとなる参照点、つまり類推、メタファー(暗喩)を与えようとしているのである。私が「それはそのようなものである。それはそのような類のもの、そのような本質を持った進化である」と述べるが、それらの言葉をあまり文字どおりには受け取らないでほしい。

 

 さて、その別の面について述べよう。同胞団としてのホワイト・ブラザーフッドは象徴的なものではない。それは現在でも、そして過去においても存在し、歴史の進展に影響を与えてきた。ある領域におけるホワイト・ブラザーフッドの現れとその仕事は、我々の個人的理解を超えている。もしあなた方が個人的体験を超えたところに到達するなら、参照点の向こう側に行くことができる。そして参照点を超えたときには、あなたの体験のなかにある何かに似た何かを創造する必要がある。さて、この意味で私は神を、始まりにおける光のプールのようなものとして述べている。この意味で私は、物質への投射等などのことを述べている。それが実際に生じるとき、それは恐らく現在の進化段階における我々の理解を超えたものだった。しかし、それでもそれらの参照点は価値があり、その結果得られる神との関係性についての理解は価値あるものである。それらは実際起きたことを文字どおりに描写して再現させるというものではなく、あなた方に神との関係性を理解させようとするものである。

 

 神の息子たちが人間の息子たちの苦境に気づき、それに対して活動をし始めたとき、アダム、あるいは完全な身体または形をまとった人間の物語として知られるようになったものが始まった。アダムは特別な目的のために神によって創造されたものであった。

 

 さて、あなた方はこの出来事を神とアダムの関係として想像することができるだろうか。アダムを創造した神を神の息子たち全員として、または下降していない神の現れとして見ることができるだろうか。恐らく、創世記の書き手、または話し手はそのことを伝えようとしていたのだ。つまり、神が人間という形で現れる、人間という表現をもたらすことを意図したときがあった、ということを。

 

     (以上、転載終わり)



 

私は「意志の力」を使って呼びかけた。どうか真実を追い求めている、あるいは真実に気付きかけている魂の同志に読んでいただけますように。