HONDA CD125
圧倒的にロードバイク🚴♂️で走るのが多いけど
🚴♂️に乗る前はオートバイ🏍️に明け暮れていた。
自動2輪の免許証を最初に取得したのが
19歳で車の免許証より遅かったくらい。
今から51年も前の1970年の事である。
当時の自動2輪の免許証取得は府中自動車試験場か
鮫洲自動車試験場(以降鮫洲)で私は鮫洲だった。
時効だが当時は散々無免許で乗り回して
そのオートバイ🏍️(YAMAHA-DT1)を
貸してくれてた友人から自動2輪免許取れるよ……
と言われていざ鮫洲へ
面白いエピソードをひとつ
無免許で🏍️を乗ってた時に横に白バイが
止まったけど慌てず騒がず堂々と
白バイを眺めていたのだ。
当時はノーヘルOKの時代で私も当然ノーヘル
駄菓子菓子、余りにも堂々としてると
白バイもまさか私が無免許とはつゆにも
思わなかったのだろう。
話がそれた、当時の自動2輪免許の試験車は
HONDAのCD125と言う商用車で
クラッチは付いてるがギヤは4速の
ロータリーチェンジで前後にシーソペダルがあり
前に踏み込みとロー(1速)でセカンド(2速)
サード(3速)トップ(4速)に変速して
もう一度踏み込むとニュートラルであった。
自動2輪の試験は当時でも合格するのは
結構難しかったが
私は2回目で無事に合格した。
受け取った自動2輪免許証は125ccの
試験車で受かったのに排気量の上限は無くて
今で言う大型自動2輪免許証になる。
自動2輪免許証を受け取ったその日から
750(ナナハン)にも乗れたのである。
実際に私も免許証を受け取った翌日に
友人から借りてHONDA CB750K0に乗っている😁
駄菓子菓子、世の中、そんなに甘いものでは無いのだ。
初めて乗った大型バイクは快適なんて物じゃない❗
アクセル一捻りで3桁の世界で遊んでる。
そして………夜の8時に魔物が棲んでいた。
そこはUターン、右折禁止の北本通りの交差点
スピードは100km、前方に車の横っ腹見える
車を発見してから激突するまでコンマ何秒の世界
100km/hだと100mは3.6秒の速さ。
マツダルーチェが廃車になるほどの衝撃💥
ど真ん中に激突してセンターピラーが……
と言うよりフレームがグニャリと曲がり
廃車になったとか………
私は……激突するまでの僅かに時間に
自分から飛ぶ体制に入りルーチェを
飛び越えて何十mも先の路面に激突
※当時のオートバイはアップハンドルが多くて
事故を起こすと両脚がハンドルにぶつかり
骨折したりあそこをシコタマぶつけて
痛い目に遭うのを周囲のバイク事故で
知っててとっさに飛ぶ体制を作れる若さがあった。
100kmで止まってる?壁に激突すると
どれだけのエネルギーが発生するのだろう?
最悪な事に対向車線に飛んでったのに
最良な事に対向車はいなかったのだ。
起き上がった私は何を考えたのか
CB750K0を起こして帰ろうとしてた。😆
しかし、右手に力が入らない😢
当然だ、痛みは感じないが右手は折れていた。😆
それと事故の日は生まれて初めてヘルメットを
被っていたのだ。理由は寒いから✨
事故を起こした場所は消防署の真ん前で
直ぐに救急車🏥🚑に乗せられて
100m離れた救急病院に運ばれていたが
その救急車🚑の中でも薄れ行く記憶………
目を開けてるのにどんどん真っ暗になり
最後は何にも見えなくなっていた。
後で聞いたのだか血圧がショックで下がり
上が50も無かったそうである。
ショック死亡寸前の状態だったらしい。
ヘルメットを被ってたが脳波が乱れまくりで
もし、ヘルメットを被って無かったら
命は無かったかも知れない。
骨折は右手に甲骨だけに留まり手術はせずに
自然治癒だけでした。
後日、消防署に置かれたCB750K0を
見に行くとスピードメーターの針は
90kmのところで止まってた。
35ミリのフロントフォークはグニャリと
曲がってはいたが原型をとどめていた。
当時のフロントフォークは無垢で最近の
中空のフォークとは比べ物にならないくらい丈夫で、
何とこのCB750K0はフレームを修正して
修理して再びロードを走ったのである。
続く


