蒸かしたジャガイモを食べてみた。
栗の味がした。
私の味覚はどうなってしまったのか?
孔子は「40にして惑わず」と言ったらしいけど、さすがにこれは40になったって惑うよね?
みなさんご無沙汰しています。
ILLです。
みなさん、この戸惑いを判ってくれますか?
ブログを書くのが久々過ぎて、どんな書き出しにしようか散々考えてみたけど妥当な書き出しが見つからないからさ、さっき晩御飯食べて思ったことをそのまま書いてみましたよ。
人生何があるかなんて判らないものだね!
なんかさ、最近気付いたことがあったんだ。
それは、「俺ってダサいよな」ってこと。
何がダサいって、40にして異性とまともに付き合ったことも無いし、それが原因なのか面と向かって人と喋れなくなってきて自分の周りに誰も俺に関わろうとするんじゃないぜオーラ出して壁を作って自己完結を肯定するような生き方とか、その生き方のせいで傷つけてしまった人たちに今更ながら罪悪感感じたり後悔したり、ほんとダッサい。
別にねネガティブになって自分を卑下して満足しているのでも無いし、さりげなく隠しているМっ気を発揮してどこかの誰か知らない誰かに責めて欲しい訳でも無くてさ、これまでは自分のダサさを認める事が出来なくて知らないうちに謎の閉塞感に陥っていたけど、ダサさに気付けたことで閉塞感の原因が掴めてむしろ清々しささえを感じているくらいでさ、なんだかこの状況を突破できるきっかけになるんじゃないかって気になっているのだけど。
そういえば、ダサいといえば新国立競技場問題は本当にダサいよね。
当初の総工費は1300億円(これでも高いけど)を予定していたはずなのに、あれよあれよで2250億円になり、さらに毎年40億円の維持費がかかるとかいうけれど本当にそれでいいのか?
2250億円のうちスポーツ振興基金から125億円供出されるといわれているけどスポーツ振興基金というのは本来「世界に通用するハイレベルのスポーツ選手を育成・強化するための基金」のはずでしょ?
箱モノに使うのは違うんじゃないのか?
オリンピックというのは自らを研鑽してきたスポーツ選手がその力を発揮し誇示する場であるのだから、国は研鑽する選手のサポートや人材育成が役目であり、自国の技術力、経済力を誇示するのは二の次三の次じゃないのか?
もしも、次世代を担うスポーツ選手が育たなくてオリンピック・パラリンピックの成績が散々だとしたら、外見だけ立派で中身が伴わないだなんてそんなダサいことを世界に発信することになるけど、それでいいのか?
そんなとばっちりを選手に飛ばしちゃ、あんまりだよな。
さらにオリンピック・パラリンピックが終わった後はスポーツイベント、音楽イベントで維持費を賄うというけれど、あまりにも経済的負担が大きくてヒーヒー言いながら維持していく姿なんて判り過ぎるくらいに判り切っているのではないか?
背負わなければいけない負担を先送りにして「今が良ければそれでいい!」とか「一回言っちゃった事を撤回するのは面倒くさいから強引に進めちゃお!」的な感じを国の指針に持ち込むのはもう勘弁して欲しいな。
そもそも2019年にあるラグビーワールドカップはわざわざ新国立競技場でやる必要ってあるのか?
もうラグビーワールドカップは他のスタジアムでやりくりして、空いた一年で手遅れのどうしようもないダサさになる前に今そこにあるダサさに気付いて清々しいくらいに開き直って方向転換して新国立競技場の計画をもう一度練り直せばいいのにな。
なんていうか、東京オリンピックの外面の豪華さに対する肝心な内側を支える者たちへの心配りみたいなことが蔑ろにされるのって、今の社会構造を表している気がしていてそれがいわゆる「日本社会の閉塞感」と関係している気がしてならないんだよね。
安倍首相はどう思っているのだろ?
「美しい国、日本」の姿は、品格ある国家、社会を創り、世界から信頼され、敬愛される国です。誰もが日本に生まれたことを喜び、誇りに思うことができる国創りを目指すためには、教育の再生が必要です。と心の重要性を掲げているのだから、それを実行すれば良いのでは?と思うのだけど。
このまま計画を進めたとして、後世に残るのは名声か? 悪名か?
安倍首相はHEROになれるのか?
P.S
駄文、乱文ですみません。 どうかご容赦を
ダサさとは無縁のカッコよさ!
monoral - Pompadour