自分とは何だろう
自分の物差し、他人の物差し
事象はおんなじでもつ、
三人寄れば文殊の知恵、
とはならず…
単に他者を言いくるめるための戯れ言
さらに10人よれば、
100人寄れば、
これも文殊の知恵とはならず、
100人の戯れ言
ひとつの物を勝手に持ち上げ、
そしてある時勝手に脚立を取っ払う
それが作曲家であろうが理系女であろうが、
何に賞賛し、何に幻滅するのか
羽仁五郎氏が何十年も前に提起した、
危惧する日本の社会が、まさにここに存在する
ある種、ブランドを意味もわからず有り難がる「信仰的なもの」への
共通する因子が私には感じられる
ゴーストではない立場のものたちが、明確に自分の目の前にラインを引き、
その向こう側を論じている
ゴーストではないから善なのだと、善の人間ですと言わんばかりに
実はオウムの時も、余命一ヶ月の花嫁の時も、
社会全体が善人ぶって…
昨今、匿名性の欺瞞、偽善、その特性から社会の規範であるかのように振る舞う
私にとっては違和感しか残らない