パギやんの歌に少しだけ力を分けて貰いました
かまちゃんのブログ

パギやんを発見~目

この前の日曜日、朝の六時頃から滋賀の栗東までお仕事~走る人


その帰り道の公園でなにやら催し!?



そこでは地域の方々や最寄りの病院関係者、各健康相談ブースがあったり、模擬店はほとんど終了の雰囲気。


その中で美味しそうなアユを発見。 もうしまいだからという事で、


一匹百円、


そしてまた別のブースでコップ酒。


これももう片付けなのでという理由で百円。


ブルーカラーには何だか嬉しい限り。



お酒コーナーのおじさんと酔いも任せて、饒舌に談笑。


「私らの頃は大卒はエリートやった」というおじさん。

私のホコリまみれの作業服姿を見ながら、厳しい時代をお互い痛感しながら、

私はエールを送られたような気がした。


おじさん有り難う。




そしてぱぎやん。

浪速の唄う巨人 パギやん参上を検索すればすぐにヒットします。

パギやん有り難う


苦しみは体験した者でないとわからない。 本当は分かり合えるはずなのに、それが出来なくなっている世の中。 浅はかに戦争や差別を語る人々…プンプン


深い闇が見えないでモノを語る。、銃を手にする、覚醒剤は怖い、戦争は絶対にいけない、オウムは危険。

その現象の表面的なものに囚われて、



例えば太平洋戦争の悲劇を表層的に発声し、そして自身が加害者側であることを無自覚でいる。


バブルの頃からも危惧されていたことだが、沖縄ではリゾート開発、マンションやホテルの建設。

そのために、直接、間接、様々な利権や要因が絡んで環境破壊が進んでいる。


本土からの観光?

客たちは何を求めて沖縄方面に出向くのだろう。



渋谷のコギャルたち、携帯片手に自由を享受。


でも携帯のほんの一分の会話を支えるには、

どれ程発展途上の国々が、その足下に横たえ足蹴にあうのだろう。




観光客や戦争を語る人々はあくまで外野。



沖縄の基地をなくすことは理想としては正しいのかもしれない。

ひめゆり部隊も悲劇かも知れない。


本土の人間は忘れている。

私も含めて日本人は自身が加害者であるということを問わない。

自身に問わない。



高度成長期、各地方で、私鉄が次々廃線となっていく。

路面電車も大阪万博辺りからどんどん邪魔者となっていく。


皮肉なもので、富山ではヨーロッパのようにうまく路面軌道がとけ込んでいる。


大阪は堺、難産だがここでも路面電車が論議。

京都でも路面電車の見直し論がある。実験的に今出川での交通調査が以前行われた。



今なぜ?

かつて国鉄民営化に伴い、各地の支線が廃止、特に北海道は…。

石炭から石油。時代の流れではあるが、アフターケアは常に冷たいものだ。



今各地で限界集落が悲鳴を上げている。


産廃処理処分場を容認、受け入れた集落、原発を誘致する村。


しかし、


原発を受け入れ過疎が解決し、賑わいを取り戻した地域があるのだろうか?


ある原発地域では、男性に早く結婚、嫁を連れてくることを暗にすすめる。

だが一方で、原発地域の娘は貰うなという話もある。


原発は発電効率が良いと信じられているが、実は大嘘。


メンテナンスのために多くの低賃金労働者が被爆している。


一般の人はそれを知らない。


被爆した放射能を排出するため、


作業の後、大量のビールを飲み、


そしてサウナにはいる。

そうすることによって尿とともに排泄できる?らしい。


低賃金労働者、日雇い労働者はすこしでも日銭が欲しいから、放射能測定機の針を改ざん、規定以上の放射能を浴びる。私たちの目に見えないところで、色んなモノが踏みつけられている。




なぜ高度成長期にこの国の風景が変わって行くことになったのだろう。


文化人類学では日本文化を語るときに、室町時代が一つの転機だという。


これ以降の日本が現在の日本にも繋がってくる。


三丁目の夕日や昭和ノスタルジックが静かにブーム。


そこには何を思い起こさせるのか。





高度成長期以後は一つの転機だろう。


東京は大都会だと、地方に住んでいると思うのかも知れない。


しかし、ドラえもんの原作にも表されているが、空き地に土管。


昭和三十年代、まだまだ首都にものどかな風景、

京都に於いても市内に田畑が数多く存在した。



だかそれも今は宅地化し、



この間の現場でも分譲住宅地に、何とも綺麗な水が流れていた。

元々田畑であり、そのための疎水。

そこには今民家が建ち並ぶ。


手ですくって飲めそうな、透き通った疎水でした。



これらの風景、昭和へのノスタルジー、何を示しているのだろう。 



話を戻そう。



基地をなくするということ。

あまりにも長い年月は某ダム事業と同じ問題をはらむ。


いい意味での地域コミュニティというものを、権力は何の躊躇もなく破壊していく。



反原発の問題も同じ。


権力は下々の事などお構いなし。


沖縄では先祖代々の土地を接収、

地代をもらえることで飼い慣らされていく地権者もいる。


基地内で働く沖縄住民、米軍関連の仕事に就く人々。




若者の就職が深刻な沖縄。

潜在的な基地に出て行って欲しいという思い、


その一方で基地に依存する実情。


この国の深い闇を探っていかねば何も変わらない。




単に”武器よさらば”というのは易しい。


戦時中の悲劇を語るのも良かろう。

しかし、私には矛盾なのだ。


こんな話がある。


なぜ第二次世界大戦を防ぐことが出来なかったか。


平和主義がヒットラーの台頭を許した。


チャーチルが、安易な平和主義で戦争参加の態度をなかなか示さなかったことが原因だと。


ある経済学者の言葉だ。




皮肉だが、


戦争とは、


人類が発明した史上最高の紛争解決方法(当然経済問題も含む)なのだ。


未だそれ以上の発明がない。



人類はいつの日か武器を持たずとも、争いを解決していく豊かさを身につける。


私はそれを信じている。


ちょっと支離滅裂な、いつもの私の愚痴…汗