今日は書く事がないや笑。
書く事が無い事を書く。
きっとね、常に今が最高な気がする。
過去、現在、は経験してきた。
未来は想像して創造。
それは俺のストーリー、あなたのではない。
だからそんなストーリーは無限分の1でしかなく、参考にもなりやしない。
同じ歳の連中にアンチだから、その創造力が俺のまわりにアンチな同世代を創造してしまったのか。。
実に興味が湧かない。
仲良かった人間ほどそう思うね笑。
でもそれは、この空白な時間を埋めるのに、過去のセメントを無理やり流し込もうとするからなのか。
あの頃の誰それ、あの頃の俺、あの頃のあなた、そんなものはこの時間軸にはもう存在していないのに、人は何故か自分の知りうる過去の情報の中で誰かを判断し裁き定義する。
俺が常に移り変わると同じく、全員もれなく変化しているってのに。
それぞれの信に基づいて常に常に移り変わっているってのに。
それを無常とかさみしいとか言う観念で閉じ込め縛り付けがちだけれど、
きっとその時々に出会う人々はその時点で必要な有意義と学びがあったから出会い。
また違う学びが必要なら自然と離れていく。
そこを縛り合う必要なんて無いんだ。
過去や、過去に基いた自分を自他に裁かれ続けるなんて
そんな思い込みは、偽善であり欺瞞なのかもよ。
天国ではなく煉獄なのかもよ。
昨日の自他も、今日の自他も、全くの別人。
なので、昔から知っていようがいまいが、
また今日出会ったのなら、全くの新しい出会いってわけだ。
そこで改めて人間関係を見た時、少しずつ何かが変わってる。
求め合うカタチも
昔と違うのはそりゃあ当たり前だな。
俺にとって空白の期間は、
アイツにとって空白の期間でもあり、
みなそれをそれぞれが知らない何かで埋め合ってきたんだから。
今更そこを開いて取り出そうとしたって、風化した思い出以外の何も出てこない。
きっとまた新しい出会いの中で、また学び合えるとしたら、それは新しい思い出を創り合える新しい関係になるだろう。
無理に合わせない。
過去に縛りつけない。
過去に縛られない。
友情、親友、らしさ、など、永遠に続くかの様に語り合った幼き頃のある種の呪いは振り返ると洗脳にも似てた笑。
いま俺のストーリーの中で生存してるのは、ほぼ数名を残して去り、
きっと、その数名と今も居れるのは、
新しい何か、関係、価値をまた創造し合いたいとそれぞれが思ったからなのだろうと感じている。
永遠なる不変的な共生、共存。
それは一つの夢だけれど、
本来的な個の自由と矛盾して、させてしまわぬ様に、
自分のエゴと、他人の幸せのカタチをすり替えてしまわぬ様に、
常に中庸を知る事を忘れたくないや。
そう、昨日旧友からのメールを見てふとよぎった
アタマとカラダの相反する理論や感情も
今こうしてつらつら書く事で中庸に戻れる。
様々を赦す。
人を赦す。
もしその赦す自他すら赦せたら、
気がつくと後には感謝が残っていたりする。
今までありがとう。
これからもよろしくね。
また、会おう。。
~~~
自分にも他人にも
厳しくしないで。
もっと優しく。
もっと赦してあげたらいい。
赦せない事も、赦せる事も、
赦せない自分も、赦せない他人も、
赦そうとする事すらも、
その全てのベクトルへ向かう事を
赦してあげたらいい。
心の穏やかな時、
人は己の内外に
なんと自然の安らぎを憶えることよ。。
そうか、これがもしかしたら神なのかもしれないなぁ
とか、ね( ^ω^ )
ATSUSHI
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