最期は自宅で迎えたいね。

 

 

すい臓がんで亡くなった母は以前、

こんな風に言っていました。

 


ここまでのお話
①母の終活
②③せん妄

 

 

母は愛知県内にある
緩和ケアセンターというところで
最期を迎えました。
緩和ケアセンターとは
ガンの治療を受けている患者さんが
自分らしく、
穏やかに日々を過ごせるように、
ガンによる体や心の痛みや辛さを
和らげるお手伝いをしていただける

場所。

 

 

母の過ごしたセンターは、

体調さえ良ければ

いつでもどこでも行けるし

食べられるものがあれば

いつ、何を食べても構いません。

それはとても、気持ちの安らぐ

ことだったと思うのです。

 


「最期は自宅で迎えたいよね…」


少し前に冗談で言っていた頃の
気持ちこそ
母の本心だったのだと思う。
しかしそれは、
実際は容易なことではなかった。
自分が現実にその立場になってから、
母はこのことを
いつの間にか口にしなくなっていた。


どこで最期を迎えるのか。
その覚悟を決めることはきっと、
とても胸の詰まる想いであるし、

簡単なことではなかったと思います。


抗がん剤の副作用で足のむくみ、
そのうち味覚までも奪われ、
食事をする楽しみがなくなり、
体力が日に日に衰えて
お正月にはキッチンまで
歩くことができていたのに
それから二週間後には
立つこともできなくなっていた母。
側で見ている父と姉も
本当に辛かったと思います。


センターへ入院する直前には
自宅のトイレに向かうのに
四つ這いで這って行っていたそう。

そのころの母を想うと

苦しくなります。

 


トイレだけは、
自力で済ませたいという
女性である母の恥じらいや、

強い意志があったようで
下に使うシートやオムツなどを
自宅で使用することはなく、

自力でトイレを済ますことを

譲らなかった。


でももう限界だった。
父も、姉も、みんなが願った。
とにかく母の痛みや苦しみを、
早く取り除いてあげたい。
ただただそれだけだった。


その時を、

自宅で迎える方が良いのか、

センターで迎える方が良いのか、
まだ迷いがあった中で姉は
両親には当初は伝えぬまま、
センターに詳細を伺っていました。
 

 

自宅での母を見ることが限界となり
センターへの入院の話を相談した際、
父も母ももう、
自宅での最期を望んではいませんでした。
こだわるところはそこではない。
とにかく母が、安らかにいられる場所。
それがみんなの願いでしたから。
それは、何にも変えがたいもの。


どこで最期を迎えても、
きっと大切なのは、その方や
周りの方の想いなのだと思います。

その方を思う想いだけがあれば、

最期の場所は

それほどこだわる必要はないのかもしれない。

わたしたちは、そう思っています。

 


今はっきりと言えることは、
もし自宅治療で最期を迎えていたら
自宅でせん妄の症状が現れていたら…
一番側にいる父と共に

それらを想像すると、
わたしたちにとっては
緩和センターでお世話になって
本当に良かったということです。

 

 

母が安らかにいられる場所があった。

それだけで良かったんだと、

いまは思えます。

 

 

お読みいただき
ありがとうございました。

 

 

母の闘病記録④---終