屍者の帝国を読み終わった。
ラストは泣くでせう。
そしてイギリスがプチブームです。白状。
いや、宇宙一はアイルランドだよ!
アイルランドのミルクティーの方がおいしいよ!たぶん←
映画にはバトラーが出なかったのがサブメインキャラ部門最大の痛みですが、映画も原作もいいね。素敵だった。
ずっとDoorを聴いています。
「夢を見て」の音程がかっこよすぎます。ゆーめをぉおーみてぇー←。台無しになるかやめます。
歴史上の人物や史実と、フィクションの世界が合わさっているのが素敵。クラシカルな名作を読んでればいるほど、楽しめそうです。ちなみに俺はフランケンシュタインの怪物とアイ・ロボットしか読んでないけどな!だから興味持つねって話だぜ!←
ノンフィクション、フィクション。史実。真実。そうかな?
本当にフィクションじゃない物語なんて、あるのかな?
以下ネタバレ。含む。多分これラストシーン重点のネタバレ。
単なる、菌の言葉の違いだけじゃ納得できなくて、こういう風に考えてしまった。
ワトソン君は『屍者の帝国』の世界を去り、『シャーロック・ホームズシリーズ』の世界に行った。
『シャーロック・ホームズ』には屍者は存在しないから、ワトソン君には生者も屍者も同じに見える。いや、同じものだよ、描かれた『世界』を読み取る上で、言葉が違えば違った読み方をする。だから。『屍者の』ワトソン君じゃない普通のワトソン君は、描かれた『世界』から屍者を読み取れない。"屍者である"ところだけ、抜け落ちて処理されるから、屍者の雑踏はただのモブだ。今日から普通のワトソン君に戻りまーす。
言葉の違いとは、こういう事ではないだろうか。
『屍者の帝国の世界』では菌に因った言葉の違いも、『シャーロック・ホームズシリーズ』では別の原因に…現象はそのものまでもが…置き換えられる。
もし、『この世界』に屍者が描かれていたとしても、僕らは『屍者が存在する世界』の言葉で描かれていないから、読み方が分からず、違った読み取り方をしているか、読める事にさえ気付いていない。僕が好きなミルクティーは、『ほかの世界』の言葉で読んだら普通の水かもしれない。存在さえしないかもしれない。
私事になりますが、『点と線の世界』と、『概念の世界』の関係に思えてしまいました。
以下は世界の暴走です(笑)
『点と線の世界』に於いて、言葉とは、文字。彼らは文字によって存在し、文字によって思考し、文字によって発声する。
『概念の世界』に於いて、言葉とは、意思。彼らは意思によって存在し、意思によって思考し、意思によって発声する。
存在し、思考し、発声する。言葉という現象は同じでも、読み取り方が違う。読むべき場所が違う。読み取った結果は似ていても。
ワトソン君は何処へ行ったのか。
いつしか来るぞ。
『我々のこの世界』に、きっと来る。
僕達もいつか、きっと行ってやる。あなたたちの『点と線の世界』に。あなたたちの言葉に。
ちなみに、物語の主人公の相方・相棒役の事を、ワトソン役とも言うってウィキ先生が言ってた。
もう片足出てるな。ジョン・H・ワトソン。シャーロック・ホームズも、アルセーヌ・ルパンも、明智小五郎も。その他沢山の方々。みんな、だんだん居ると思われてきてるわよ。ぺったんこー。
逆にね、クレオパトラやジャンヌ・ダルクは本当に居たんですか。
みんな居るよ。
僕らにとってはね。概念こそが存在だからさ。
全世界が、全ての存在が、表すあらゆる言葉を、読み取ることができたなら。
バベルによって分かたれたのは、ホモサピエンスの言葉だけではなかったかもしれないね。
ただ、僕が言葉によってのみ知ることができ、会うことができる人が居るのだから、それが証明となろう。
探すしかない。
あなたの、僕の言葉を。
あなたに会えるわ
私はここに居るわ
あなたはここに居るわ
…ゆーめをーぉおーみてぇー(Door
さらに私的な妄想にいきますと、フライデーはモーリアティになって欲しいですな。
妄想やなくて願望ですな←
モーリアティが!フライデーだと!?
それはぶはる。
赦してください。