男は外に出れば七人の敵がいるらしい。

もっといるだろうと憤る人もいるし、そんなにいるかな?と疑問を抱く人もいる。

前者にとって後者は敵である可能性が高い。

 

果たして何をもって我々は敵を敵とみなすのか。

意見の対立か?目的への障害となるからか?

それとも単に印象か?

印象だとしたら厄介である。

その人にとって自分はどうあっても敵なので、改善のしようがない。

敵は少なければ少ないほどいい。

どうにか減らしたいところであるが、どうにも私の周囲はそういう、なんだかいけ好かない、というふんわりとした理由で敵を作りたがる人間が多いようだ。

いけ好かない印象を与える原因がこちらにもあることは重々承知であるが、それにしても多い。

今日など、昨日の友が今日の敵となった。

逆である。

国語を学びなおせ。

 

自分より前に担当していた者が手抜きをしており、顧客が前のやり方を気に入っている場合、きちんとした仕事の仕方をしようとした私は、その顧客にとって敵になる。

当たり前だ、顧客に負担がかからず、自分にも負担がかからない狡いやり方なのだから。

それができるのは、前の担当が偉い人だからできたのであって、私のような木っ端が真似をすると偉い人に怒られちゃうのである。

やんなっちゃうのである。

 

ただしこの件についても私が上手く説明さえできていれば、敵を作ることもなかっただろう。

本当の敵は自分自身かもしれない。

 

また週刊少年ジャンプみたいな締め方になった。