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キサラギさんのブログ

悩み多き人生…にも幸せがあるかな??

生きているときもお金はかかるけれど、死んでからもお金はかかるんだね~。


葬儀がおわったとおもったら、すぐに四十九日。それから納骨やらで初盆^^;;;。

で、翌年は1周忌。


お布施やら、粗供養やら、そのたもろもろの費用がばかにならないよ~~。

古い仏壇を処分するにもお金がかかるし、新たに家の間取りに合うものを求めるのにもお金がかかる。

位牌も、お墓も承継する人は何もかも丸抱えで大変だ~~。(まさにウチ!!)


こういうことは、身の丈にあった範囲でやればいいとは思うけれど、どこで線引きしたらいいのかがよくわからない。


ほんと。

死ぬまでにしなければならないことは「お金を貯めること」だ!!!

3桁単位で貯めておかねば、残された者が全て持ち出しで、アップアップ。


今、早朝から働いているけれど「ろくでなし舅」の後始末に消えていく現実。



やってらんないよね~~。まったく。

罰当たりだけれど、これが現実。



生活保護受けないと生きていけないひとが沢山いるのに、死んでなお万単位でお金を消費するって????それ払ってるうちらって????と、最近のニュース見ながら、やるせない気持ちになっている。わたし。

何かを語るときに、自分以外の誰かを引き合いに出す人っているけれど

私的には、それは不必要なことだとおもうのね


それから、自分が何かをしようとか(逆にしないとか)いう気持ちを語るときに

他者のことを理由の一つにすることも。



もちろん、誰かの生き方に触発されたり影響受けたりすることはある。。

いろいろの決定は自身がするのだから、それはその人の気持ち決定なのだろうけれど


いちいち ~さんがどうだとか、そういうのを聞くのはちょっと苦痛。

っていうか、私にはない思考なので。


しばらく何かから離れていた。

で、「他者」を理由にちょっとだけ顔を出す。そこで「戻ってきなよ」とか言われて気持ちが動く。

(私は必要とされている、とかね?)

でももう前のようにはできません。(したくないんだよね、やめた手前ね)だからだれかと共にならと自分が復帰する企画を考え「一緒にやらない?」ってどうよ??



なぞだ。


余命いくばくの同年代の友達を見て「生かされている自分を自覚し感謝した」って??

ん~~~


わからなくもないけれど、それと自分がしたいことを結びつけるのは、私は違うと思う。


人は一人では生きられないけれど、孤高な存在だと思うから。



したいことは自己責任で、自分主体の意思でやんなよと思う。

前回のブログをアップした後=夜に、病院から連絡があり、深夜3人で三重まで走った。

2時頃到着した時には、舅は「仏」になっていた。


苦しみから解放された穏やかな顔。

苦しかったのは、かわいそうだけれど、やっぱり「いい気なものよね」と思ってしまう悪すぎる嫁の私。

葬儀って、ほんとにお金掛かるのよ。自分だけ楽になって、なによ!ってね~~わはは。


私は、葬式代は必ず貯めておこうと改めて誓ったわ。

お墓も用意しておこう。絶対に。





さて!そこからが怒涛の日々!!


三重から大阪に遺体を搬送する手配をし、私たちも大阪へ。

仮眠を取る間もなく、通夜、葬儀の打ち合わせ。その合間におのおの職場に連絡。

そして、親戚にも連絡し………


ちょうど1週間経つけれど、疲れはまだ残っている。


人は生まれたら、育てなければならないけれど、ある時期をこえたら「その子自身」で生きていく。

でもね~~、死んだら本人は生存者に丸投げ。生存者は、お墓やら仏壇やらを守り継承し、節目節目に法要しなきゃならない。

これって、結構やっかいなことね~~。


その「やっかい」がはじまったわ。


今は舅だけだけれど、そのうち三重から姑と義弟もくるのよね。

何もかもを負わされる長男家族。そのはじまり。

「あと数日です」と言われたのが、先週の水曜日。で、土日泊まりで付き添ってみた。


多分かなり痛い。そして飲まず食わずなので衰弱は進むばかり。

しかし、こちらの呼びかけには(看護師さんとかのも)反応するから、まだまだ意識はあるけれどもうその意思表示ができない状況なのだろうな。


痛みに顔を歪めるのを見て思わず声をかけたり、手をさすったりするけれど実は私の心は冷たい。


「何を今更」「自業自得だよ」の言葉が心に渦巻いている。


「もっとしやべれるときならね」と看護師さんが言ってくれるけれど、しゃべれるときにあの人が言うことは「~食べたい」「したい」「~買ってきてくれ」と、今の自分の目先の欲望のみだったね。



本来ならば、残され全てを丸投げされた長男に言うべきことがあったのではないのかな?

内縁のヒトに対してもしかり。



何もかも、自分本位でやりたい放題してきたあなたは、簡単には死ねないよ。

ごめん、私は一晩同室の硬い椅子で付き添いながら、夜中に苦しむ姿を見ながら、実は「自業自得」って思ってたんだ~~。っていうか、文無しになった今、こうして看護される立場でいられること自体を感謝して欲しいよね、とも思うの。

内縁の人、オムツなんて替えてくれないでしょ?

ヒゲを剃ってくれたり、汚い入れ歯のケアしてくれたり、本当に看護師さんたちには感謝しかない。


昨日、「もう帰るよ」と言ったらとたんに声を上げ苦しいのか寂しいのか?なんなのか??自己主張した舅。いままで、開けなかった目を開けたりもしたね。



ん~~ごめん。

やっぱり自身の不徳が招いた末後だよ。

今日もまだ連絡がないということは、今も苦しみぬいているのだろう死ねなくて。


という、冷たい嫁のひとりごと。


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宇宙の、天体の摩訶不思議な現象を目の当たりにして

私って、日々、なんて小さくて狭い範囲の何がしかに対して
いらいらしたり、キリキリしたりしているのかと思う。

先週末。
娘の友達で一人暮らしのお嬢さん2人が「お泊まり」に来た。
夕飯とお布団と翌日の朝食を用意するっていう。。。。旅館かホテルみたいな感じ?

お友達が久しぶりに集い、食卓を共にして、という普通だけれど温かい時間が心地よかった。「おいし~~い」って感激しながら食べてくれるのも嬉しいしね。娘も利害ない関係の友達とのひとときは、楽しかったと思うなぁ~。私も楽しかったよ。
「癒されました~~また来させてください」と帰るお嬢さんたちに、にっこり。
「またいらっしゃいね」と送り出したのよ。(ちょっと良いママしちゃってるかもね、わはは)

しかし。
そういうお客様を、ひとときを快く思わない人がうちには一人(ーー;)
なんでなんだろうなぁ。急に!本当に突然、?自分がないがしろにされていると勝手に思い込む傾向があるその人はおかしなタイミングで、意地悪な態度で我をアピール。しかも私にだけに!!その矛先は向かってくるの。
舅のことに奔走してた時もそうだったね~~。なんなんだよ!?まったく。そんなことはないのに。本当にないんだ。絶対に。
だって、「お客様」とか「死にかけている」とか、特殊な場合はそこになるべくシフトして「できることをしよう」と思うのは普通でしょう??そりゃぁ、そういう事態にたいしてストレスがないとは言えないけれど、今回のお客様の場合、たった一晩。彼女たちが「幸せ」になれたらそれでいいのではないのか?でも、「私の日常が乱された」って????全く関わっていないくせに(会おうともしないんだよね~~なぜだか)つまりもてなしているのは私なんだから、関係ないはずなのに。なんなの?それって歪んだ嫉妬かしら?(私は友達を家に呼ぶこと等したことないし、できるような環境ではなかった)


そういうわけのわからない偏狭なわがままに触れ、それに対してイライラしている自分自身が情けなく思う。
「またおいで~」と笑顔で言う私と、このわがままをスルーできずここでムカついている私は同一人物なのか?ってね。


太陽エネルギーは偉大だな。

そしてすべてにおおらかにいるということは、本当に大変なことだ。

あれれ?でも太陽にもいろいろな状況があるんですってね。
だよね~~常に普遍って訳じゃないのね。

私の気持ちと太陽とを重ね合わせて語るのは無理がありすぎるけれど、「概ね普遍」であると自負している私的に、わけのわからないワガママに辟易して無口になるくらいは許して欲しいと思うわ。