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大杉漣さんがお亡くなりになりましたね。
ニュースでもよく取り上げられていますが、
芸能界はもちろん、
それを超えて人望があったように感じられました。
そういったお人柄だったのでしょうか。
そういう私も、
こうやって彼の訃報を受けて
感情を動かされ、行動している一人です。
大杉漣さんは、
私が初めて「脇役」という存在を知った人でした。
恥ずかしい話ですが、
大杉漣さんを知るまでは「脇役」なんて概念が、
ぼくのなかにはまったくありませんでした。
おそらく中学1年の頃じゃなかったかなぁ。
北野映画で世に出たとニュースにはありましたが、
それは知らず、ドラマやその他の映画に出演されている姿を見て、
大杉漣さんを知ったのです。
ちょうど、
木村拓哉が出演していた「ビューティフルライフ」の渡部篤郎を見て、
主演だけじゃない、と思ったのと、同じくらいの時期だったかもしれません。
しかし、渡部篤郎はいってしまえば準主演みたいなもの、
大杉漣さんの脇役の感じとはちょっと違います。
なのに、本当にいい味を出していて、
物語に奥行きを与え、魅力的なキャラクターを演じられていました。
私がいま、脇役好きとなったのは、
間違いなく大杉漣さんの影響です。
ぼくの好きな俳優を聞かれると、
いつもこう答えていました。
忍成修吾、
堂本剛、
大倉孝二、
荒川良々、
大杉漣、
藤村俊二、
剛くんは主演キャラですが、
好きな俳優は見事に脇役系がうまい方々です。
それだけ影響を受けています。
彼らが出ているドラマは見てみたいと、
若い頃はよく思ったものです。
脇役の方って、
ちょっと変わった設定のキャラが多いんですよね。
それを演じるだけの懐の広さ、深さというか、
人間的魅力のようなものが、
子供心にかっこいいなと思っていました。
(だいぶ、心はおっさんですね)
そしていま思うことは、
最近、死とか別れというものに向き合うことが増えてきたな、
ということです。
これは、自分の心境を大きく変えうることだと思います。
自分自身は小さい頃から、
そういった経験がなんどもありました。
でも、おそらく同世代の30代の人にとっては、
かなり大きな変化なのではないでしょうか。
私は編集者として、
高齢者向けの本を企画することがあります。
健康本や闘病記など、生死に関わるようなテーマもよく扱います。
そのなかで、
年配の方々が自然と死や生に向き合う姿を度々見てきました。
特別な人だけがそうなるのではなく、
大多数として、そのようになっていく、ということです。
でも、決してなにかを悟っているわけでもないんですよね。
きっと、死や生に向かうことが日常的になり、
思考も、その「日常」にあわせたものに、
自然となっていくのだろうな、
そう思いました。
私は社会人になってからというもの、
50歳オーバーの方々によく好かれます。
それは自分の経験も含めて、
「年上みたい」といつも言われるからです。
そういうことを考えながら、
人っていう存在は、
「死と生」と触れながら変化していくものなんだろうなぁということを
考えました。
好きな俳優さんのうち、
藤村俊二さんもお亡くなりになりました。
ちょっと前でいえば、
サッカー選手の松田直樹が、
日本の誇るラッパーのdev largeが、
やはり亡くなっていきました。
自分を形成していたものが、
存在を消していく。
だからきっと、次の何かが生まれていくんですね。
死だけではなく、
生の部分でも、さまざまな境遇が訪れます。
「それを乗り越えよう」などとは
ぼくは思いませんが、
どんな方向にいくにせよ、
自分を構成するものがなくなるか、なくならないか、
それによって人々は作られていくんだなぁと思います。
もしかしたら「脇役」という役柄も、
数々の「足し算、引き算」をして、
それがちょっと独自な形になったキャラクターなのかもしれません。
だから、魅力的なのかもしれませんね。
(ブログ開設当初からのわたくし。今は何がなくなり、何が増えたのかな)
経歴詐称だったと週刊文春の記事によって
報道されました。
ハーフであったこと、
MBAを持っていたこと、
国際的コンサルタントとして活躍されていたこと、
などがどうやら事実ではない、
ということが報じられています。
一人のファンとして、
これはショックです。
でも、
もう一つ言うならばm、
一人のファンとして、
番組を降板されることのほうがショックです。
もちろん詐称はよくないし、
そんなものをせずに今の地位を築いていたほうが、
よっぽどかっこいいし、
好きになったと思います。
だから、降板するのはやむなしだと思います。
ただ、一人のファンとしては、
残念でなりません。
なぜなら、
確かにハーフっぽい顔立ちも好きでしたが、
(あとあの低音ボイス)
やっぱりあのコメントの的確さにいつも感心させられ、
ショーンさんを追いかけたくなったからです。
そこに関しては、
詐称でも何でもありません。
もちろん、口がうまかったのかもしれません。
でも、少なくとも
どんなコメンテーターよりも的確に、
しかも簡潔にコメントされていて、
いつも参考になったものです。
私の場合、
いつも仕事を終えて帰るとだいたい
「報道ステーション」がはじまったあとくらいの
時間になります。
そこで小一時間ほど
ニュースを見ながらごはんを食べます。
そのときにショーンさんが出ていると、
いつもより政治・経済、または国際関係について、
何か解説してくれる予感がありました。
それが聞けなくなるのは残念です。
茂木健一郎さんがブログで、
ショーンさんと共演されたときの印象を含めて、
感想を
「お人柄や、ご発言の的確さなど、素敵だと思いました」
と書かれています。
まったく同感です。
茂木さんも、もちろん詐称はよくないとしたうえでですが、
ある種、ショーンさんの経歴にまつわる「文脈」を重視してしまう
世の中の風潮にも危惧を与えていて、
確かにそうだなあと思います。
私はショーンさんが好きだったので、
擁護しがちになりますが、
ほかの人より詐称されていたショックは大きいものがあります。
でも、それがそこまで気にならないのは、
やっぱり解説に魅力があったからです。
それがもう、どのテレビでも見られないのは残念です。
そういった意味では、
すぐに幕引きをされたショーンさんは、
潔いというべきか、世の中をよくわかっているというべきか、
いろんな意味で関心させられます。
今後、険しい道を歩まれることと思いますが、
またいつかあの解説が聞けたらいいなと思います。
ほんとに、
ニュースを見ていて聞きたくなる人、
ぜんっぜんいないので、
残念です。

