「イルジメ」時代背景と雑感その1 | イルジメ〔一枝梅〕 公式応援ブログ

「イルジメ」時代背景と雑感その1

アンニ・ヨン・ハセヨン。

すみません。もう少し更新したかったんですが、今日がブログの最終回です。

で、久々に「イルジメ」を見直しています。といっても、時間がなくて、1920話のみですが。

あぁ、ほんと、優れたドラマだなあ。

久々ではありますが(といっても、10日ぶりくらい?)、しかも鬼のように何度も見ているのですが、また発見があったりして、すげぇすげぇすげぇ!!!!!って、しつこく思ったりして、もう本当に大好きであります。本当に大っ好き!


実は最近、某一般週刊誌の依頼で、韓流シネマ&ドラマについてのコメントをしまして。これまで見た作品の中で好きな作品を4本を選べというものに、迷いなく入れてしまいました、「イルジメ」を。ちなみに、他の3本は「バリでの出来事」「魔王」「宮」でした。いずれも、私を廃人にさせたドラマですね。で、この4作、いずれも違うタイプで、違う魅力を持っているんですが、「イルジメ」に関しては、人が人に対して、あったかい感じがいいんだよなぁ。

韓流初心者にお勧めの入門作品にも「イルジメ」を入れちゃったりして。布教活動は、いろんな形で地道に続けていこうと思います。

ま、好きだ好きだって騒いでいると、結構みんなが気にしてくれるようになるんですよね。だから、うるさがれても、少々恥ずかしくても、好きだ好きだと折に触れ、口にしていこうかなと。


あ、本題に入る前に、先日、某雑誌に載っていた嵐のインタビューについて少し。この記事の中で、リーダーの大野君がこんなことを言っていました。

「愛を込めて作ったものは、面白いほど伝わるんだよね」

この言葉に私は思わず号泣してしまいました。そうなんです。面白いほど伝わるんです。逆に言うと、愛がないモノ、手を抜いたモノも、怖いほど、よく伝わってしまう。モノ作りの現場にいる人間として、いつも心にとめておきたい言葉です。

そして、この言葉を読んだとき、嵐はもちろん、「イルジメ」という作品のことも思い出しました。こんなに温かさが伝わり、こんなに胸締め付ける作品です。よほど大きな愛が詰め込まれているのでしょう。監督、脚本家、現場のすべてのスタッフ、そしてイ・ジュンギをはじめとした役者達。すべての人たちの愛が詰まっている。だから、多くの人にそれが伝わるのでしょう。そういうことを思い、また感極まってしまったのです。

愛っていいなぁ。

誰かが、何かを(誰かを)、愛している姿・大切にしている姿は、周囲の人間まで、幸せにします。う~ん、だから、「イルジメ」が好き!


と、なんだか、全く、客観的な解説になっていない文章ですが(苦笑)。

で、最終回の今日は、1920話をもう一度、語りたいと思います。

あ、その前に(これ、多いなぁ・苦笑)、以前のブログの記事でエコってないものを発見しました。もったいないので、まずそれを加筆しつつ公開しますね。

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さて、第8話である。今回も笑いあり、涙ありの60分強満腹コースだったが、皆さんもお気づきのように、ポイントはパロディ(笑)。

「捕卒になるには盗賊を捕まえる試験がある」なんぞ嘘を言って、セドルから盗みの要領を教わるヨンのシーンは、反転『フライ、ダディ』。カエルのように塀にへばりつくヨンが個人的お気に入りで、何度でも見たくなる(笑)。こうしてイルジメは誕生したのだなぁと、なんだか愛おしい気分になってしまうのだ。

もうひとつ、デシクが求刑を宣告されたときに回想する父親の大道芸シーン。もう『王の男』まんま(笑)である。思えば、『王の男』も身分差別の話だからなぁ…なんて、思い返したり。二重三重に意味を読み取ることができて、あらためて「深いっ!」って思うのだ。


そして、ここらで時代背景の解説を。

舞台となるのは17世紀初頭、朝鮮第16代王・仁祖(在位16231649年)統治の頃で、日本でいうと江戸幕府第3大将軍・徳川家光の時代。

前王・光海君(クァンヘグン)は、大陸の大国・明(のちに清に乗っ取られます)からの圧力と倭国(日本)の侵略(秀吉の進撃ですね)で疲弊した国を建て直すため、外とは闘わない「中立」の対外政策を取っておりました。光海君は兄や義理の弟を殺した暴君という評価がありましたが、近年、その外交政策を評価する動きがあります。ちなみに、そんな流れの中で制作されたのが、ドラマ「王と女」です。光海君をチソンが演じ、彼の悲しき運命を描いています。

で、この「イルジメ」においては、その光海君をクーデターで倒して王位についた仁祖について描かれています。

実はこの仁祖、これまで映像化されたことがなかったんです。「イルジメ」によって、初めてスポットを浴びた歴史的人物です。それくらい、地味な(苦笑)存在だったんですねぇ。大きな功罪もなかったのでしょう。でも、そこは歴史ドキュメンタリーの構成作家を長く務めてきたチェ・ラン脚本家のキャリアがモノを言いました。彼女は、あえてこの仁祖の時代を背景に選びました。仁祖はちょっと狂気的な傾向があったことが理由のようです。


で、順に説明しましょう。

中立を保ち、明とも倭国とも仲良くやっていた光海君の政策を「生ぬるい!」と思う政党がありました。いってみれば、当時の野党ですね。光海君と与党・北人-大北派を批判し、クーデターで追いやってしまったのが、光海君の甥である仁祖と彼を支持する西人派、つまり、イ・ウォノら「天友会」の面々です。

大陸では明にかわって清(後金)が勢力を拡大していましたが、仁祖は清に対して抵抗姿勢をとったため、清のお怒りを買い、2度に渡って侵略を受けることになってしまいます。この2度目の戦(丙子胡乱)で朝鮮は惨敗し、労働力として多くの男子が清に連行されますが、その1人がデシクの父親だったわけです(デシクは戦争遺児、酒屋の女将シムドクは戦で夫の子供を失ったという設定)。

ちなみに、このとき人質にとられた2人の王子については、後半のエピソードに登場しますね。仁祖は実子である一番目の王子を親清派と疑い、毒殺してしまうのです。この世子殺しについては、ドラマ「必殺!最強チル」でもキーとなる事件として登場します。


なにせ、仁祖はクーデターで王位に就いた人。自分もいつか同じように誰かに騙され、倒されるのではないかと常に疑心を抱き、多くの人間を逆賊として処刑したことでも知られています。『王の男』の燕山君や前述の光海君が強烈すぎてあまり話題にはならないのですが、仁祖も悪評高き王とされているのです。

ウォノら天友会の面々については、フィクションになるようですが、なかなか怖ろしい人だったんですねぇ。

ここで面白いのは、仁祖がクーデターで倒したのが伯父の光海君で、仁祖はだからこそ甥であるギョムを怖れたという点です。自分が犯した罪は、巡り巡って帰ってくると怖れていたんでしょうね。だから、イルジメがギョムと知った時の仁祖の衝撃は大きかったわけです。


そうそう、「天友会」と言う名前にも大きな意味がありますね。「天」=「太陽」=絶対的存在です。サチョンが仁祖を「天」と呼び、盲目の占い師が予言した新たな「太陽」=「天」の誕生に仁祖が怯えたように、当時、「天」という言葉には絶対的な意味があった。日本でも、かつて「天」皇がそうでしたね。なので、「天」という言葉には、我々が考えている以上に、深く重い意味があるのでしょう。


そして、韓国人にとって、「天」はイコール「父」でもあります。

最終回、仁祖と向きあったイルジメ(ヨン)は、2人の父について語ります。

「僕には2人の父がいる。1人は。世の道理を教えてくれた人、1人は僕のために犠牲になった人。でも、あなたはどんな父親だ? 子供にとって、そして民にとって」

「天」は、民にとって「父」でもあるのです。

そう、「イルジメ」では、様々な父性が描かれている。セドルやコンガルといった養父の父性、コンガルやサチョンがヨンとシフに見せた師弟関係における父性、仁祖やイルジメといった民の精神的支柱としての父性、ピョン・シクや猟師のチャン父子のようなリアルな父性…。そういう様々な観点が同時並行して描かれながら、決して混乱することなく見られるのも、脚本力かもしれません。役者の演技も見事だしなぁ。


というわけで、長くなりました。

後半、第1920話の補足所感をもう一度だけアップしますね。

アンニ・ヨン。