毎日なにかと忙しく、その中でも大切なことは見失わず、楽しく元気に過ごしています。
昨日は生と死をすごく考えた1日になりました。
ブログで知り合った方が先日再発。そして友人の母の死。
苦しすぎた。自分のことではないし、自分の家族のことでもないから、本人や家族の気持ちは分からないけど、すごく苦しくて、涙が止まらなくて、考えると涙が出るから考えないようにした。
でも忙しなく過ごしていた毎日だったけど、少し立ち止まって色々と考えることができました。
わたしもいつか来るであろう再発の日。でも再発しても最後ではないし、現に生きてる。
彼がこれからもご家族とお友だちとたくさんの笑顔であふれる毎日が送れますように。
そして誰もが来る最後の日。
その日までどんなふうに毎日を過ごすんだろう。どんなふうに過ごしたいか。過ごしてほしいか。
長い間闘病生活してきた友人の母。高校の頃は家に行って遊んだりして、とても明るくて美人で友人にそっくりなお母さん。
闘病生活はすごく大変で苦しいことも沢山あったと思う。心身ともに。
本当におつかれさまでした。
そしてお母さんを支え続けた友人もそれ以上に大変だったと思う。本人より支える家族の方が大変でつらい。
よくがんばったと思う。おつかれさま。早く顔がみたいよ。
母親の死。やっぱり子どもにとって母親というのは特別で、特に娘と母親というのは、なんというか、分身のような。1番の親友。1番の理解者。女同士だから本気でケンカするし、笑いのツボも同じで爆笑するし。
どうしても自分のお母さんと重ねてしまうな。お母さんが死んだとき、もちろん悲しくて沢山泣いたけど、どこかでホッとしたような、やっと終わったな、という感情があった。
お母さんも闘病生活はきっとツラくて、支え続けてたわたしたち家族もツラくて、でも1日でも長く一緒にいたくて。
今でも思う、やりきった感とやりきってない後悔の気持ち。これは永遠に続くんだと思う。
昨日娘に改めて死ぬということを説明したら、
『わたしは大きくなってもずっとママと一緒にいたいよ。お別れはイヤ。だってさみしいもん。でも、死んじゃっていなくなっても心はそばにいるもんね』
本当に理解しているのかは分からないけど、ちゃんと自分の言葉で話してくれてるから、少しはわかってくれてるのかな。
娘のために家族のために生きる、これが結局は自分のためだから。