娘が生まれて、初めての大きい地震。
テレビはどこも地震の映像。娘は『こわい…』と言ってしがみついてきた。
こわいよね。昨日からテレビはつけないようにしてる。娘もイヤがるし、なによりも頭痛がヒドイ。映像をみるだけで頭痛がヒドくなる。
まずできることから、募金を。
余震が多すぎる。
熊本に住んでる友だちは無事でした。安心。
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今月はどこの家庭も同じだと思いますが、いろいろと変化の月でした。
まずは娘の転園。
数日は泣いたり、行きたくないと言うかと覚悟していたけど、今のところ1回も泣いてないし、登園拒否もない。
ただ、今まで一度も失敗してなかったお昼寝でオネショを。。帰ってきて変にテンション高めで、おちゃらけて汚れたシーツやパジャマを出してきた。様子がおかしいなと思ってたけど、わたしからは特に何も言わず、しょうがないよ~!失敗してもいいんだよ~!と言っていたけど。。
夜寝るときベッドで、
『もらしちゃうのは赤ちゃんなんだよ…わたしはもう3歳なのに…お着替えしてるときみんなが「裸ん坊だ~」って言った…』
…うぅ…涙。がんばって新しい環境に慣れようとしてるとき、人生初のお昼寝オネショ。まだ馴染めてないお友だちからの罪なきからかい。
自分の心をたもつのに必死だったんだろうな…だから頑張ってテンション高くしてたんだろうな…そう思うと心がかなり痛みました。
最近は前保育園のクラスと公園で会うことが多いらしく、その日は娘も喜んで報告してくる。
昨日は新保育園のお友だちの話しをすごくしてくれたので、楽しい?と聞くと即答で『楽しい!』と言ってくれた^ - ^
このクラスで良かったね、と言うと、
『そうだね~まぁ、ほんとは〇〇組がいいんだけどね~』と、前保育園のクラスがいいと。そりゃそうだよね、まだ数日しか通ってないんだし。そのうちどっちのお友だちも大好きになるさ!!
頭ではわかっていても心と身体は少しずつ慣れていくんだろうな。
わたしはそんな娘のフォローをしながら細々と家で仕事をしています。無理して疲れるとまたなんかしらの病気になるので、ゆっくり疲れない程度に。
先日の検査では再発なく、これで無事に2年クリアできました。
2年生きるのは、わたしにとって少し意味のあること。お母さんはガンを発症して2年目に死んだから。その印象が強かった。
だから、この日のMRI検査は今までで一番覚悟をしたな。いろんな覚悟をしてたから検査中、泣けた。娘の3歳をみれたんだから、もうじゅうぶん、それすら出来ないと思ってたんだから、これで再発でも長く生きたほうだ。。と考えてたから、いつも長く感じる検査がすぐ終わった。
診察までの待ち時間はなぜか?いや、本当に長くて。こんなに待たされると逆に不安。
いざ呼ばれて診察室に入ると主治医いない。初めてみる先生。なんで?こわい…
と、思ったら主治医は会議で戻れないとのことで、ホッと一安心。
その先生から再発なしで順調ですね、と。この瞬間は主治医と迎えたかったけど、まぁいいか。
んで、診察を終えて部屋を出ようとしたら、いきなりドアが開いて、看護師さんが、
「先生っ!!発作ですっ!!」
診察室の目の前に座っていた患者さんが痙攣発作。
待合室はバタバタと看護師さんや先生たちでいっぱいになって、わたしはとりあえず歩く場所がないから壁の方にたたずんで。
ストレッチャーで運ばれていく患者さん。
正直すごくこわかった。
はじめて痙攣発作の人をみたから。
その患者さんは女性でおそらくわたしと同い年ぐらい。旦那さんと来ていて、MR検査のときもわたしと同じ時間で普通に元気でいたのに。いきなり白目で痙攣してた。
その後待合室でわたしも待っていて、少し離れたところにその旦那さんが待っていて、先生がいろいろ聞きに来て。
左前頭葉腫瘍の摘出手術を随分前にして、発作は今まで一度もない、アレルギーもない、と話していて。
わたしと全部一致。
今まで発作がないから安心しちゃダメなんだ。
帰りの電車でもこわくて、心臓がずっとドクドクしてた。
同じ膠芽種の友だちに報告して、少し気持ちが落ち着きました。
娘の転園、病気発症から2年、発作のこわさ、仕事のこと、今回の地震、考えると頭と心が疲れることが多いここ最近。
家でも考えないといけないことが出てきたけど、考え方を切り替えるだけで、気持ちが楽になって、イライラもストレスも感じなくなりました。こんなに心が軽くなるなら早く切り替えてればよかったな、と少し後悔。
ずっと夢だったことは諦めることになったけど、毎日のストレスからは解放された。膠芽種は…なんでもそうだけど、ストレスが一番よくないからわたしの今回の切り替えはよかったと思うし、思わないとね。
生活環境、気持ちや考え方の切り替え、今月はたくさん変化した月になりました。
一緒に飲みまくる2人 笑
