先日、サンデーモーニング(情報番組)での張本氏のサッカーJ2横浜FC所属の三浦知良選手についての発言が物議を醸した。なんと三浦選手はその発言の前後にゴールをし、最高の形で「返答」をした。
当時は、なんと爽快な話だ、という風にしか受け止めていなかった。が、後から振り返ってみると。

「果たして今の三浦選手が(中傷に近いものであれなんであれ)あれほどの言われ方をして正面から受け止めざるを得ない機会などあるだろうか。」という風に思った。

勿論、もっと専門的・客観的、あるいは建設的な意見をいう人は周りにもいるだろう。しかし、あれだけの大選手があの年齢で現役を続けていて、それに対して要は「もう戦力にならないんだからやめた方がいいんじゃ」と公共の場で言える人はそうそう多くはないだろう。

そりゃあ無責任にネットで垂れ流すことはできる。しかし、今ではもはやそういう意見は「アンチ」という符号がつけられて、「そういう風に言う人もいる」という程度の受け止められ方しかしない。言われた当人も間に受けていてはきりがない、といったところだろう。

しかし、今回の発言は大きく取り上げられ、当初から三浦選手寄りの報道ではあったかもしれないが、無視できない流れとなった。

どう考えても、一番大きなプレッシャーを感じたのは三浦選手自身だろう。サポーターが「この選手の今までを見てもいないでよくそんなことを」と憤ったところで、自分のことではないのだ。

もし、言われた本人が「そういう風に言う人もいるから仕方ない」といった受け止め方をするなら、それで終わりだろう。今までに十分な成果を上げて来た、と。

しかし、ここから先は本当に個人の内面で起こることの話だが、間違いなく三浦選手は真っ向からそれを受け止めて、そして苦しんだ。「もっと頑張れと言う言葉だと受け止めて頑張ります」と言っていたが、それは言葉面で前向きに受け止めて言ったことではないはずだ。

彼は、どんな時も年齢のせいにしない。現実的に年齢によるハンデが大きくても、だ。要は、試合に出れない・結果が出せないなら、「自分が下手だから」だ、「もっと上手くなりたい」と言っている。つまり、張本氏の「もうおやめなさい」という発言があった際には「下手くそなんだからやめろ」と言われたと受け止めたはずだ、と私は思う。

それは器用な生き方ではないだろう。もっと楽な生き方や考え方はできるはずだ。

しかし、上手い考え方をできたとして、それが何を生む?

認められることは大事なことだ。しかし、褒めて伸ばすというスタンスだけで、あんなゴールが生まれるだろうか?

どのみち、生きて行くことは苦しいことに満ちてもいる。加えて言えば、サッカーなんてしてもしなくてもいいのだ、生きて行くためには。が、自分の人生を生きられるのはその人本人のみ。誰がどう言おうと、最終的に「良い生き方」の見本などない。

言われて辛いこと、腹が立つこと、そのようなものに自分の人生が満ち溢れていたら、苦しくてしょうがないには違いない。しかし、自分が大事にするものに向けられものだからこそ、心に突き刺さってくる言葉をその人がどう受け止めるか、は非常に重要な意味を持ってくる。

三浦選手は、その一連のやりとりを自分の力に変え、再びゴールした。もちろん、だから「日本代表に呼んでレギュラーとしてプレーしてもらおう」とはならないのは明らかだ。だからこそ、2部とは言え、また運はあったとしても、プロの試合で、あの場面でゴールできるのは、賞賛に値するとしか言いようがない。それは、プロとしてプレーしている選手たちには、より実感をもって理解できることでもあるだろう。そこには、他人が簡単には理解できない本質的な闘いがあるからだ。

良いか悪いかの話ではない。思いやりはいつだって大切だ。

ただ、この場合、張本氏の言葉は、間違いなくこの選手のゴールへの原動力の一つとなっただろう。