こんにちは。
アイレッグクリニック 院長の金です晴れ


 

私は15年程前に韓国の延世大学語学堂に留学した経験があります!!
もともと日本で生まれ育ってるので、全く韓国語を留学前は話すことが出来ませんでした。

 

 

 


当時は2003年に放送された冬のソナタによる韓流ブームの影響で
同級生は8割が日本から来た人でしたびっくり
他にモンゴル、中国、ドイツなどからの同級生もいましたね〜。
出身国によって発音しづらい韓国語が異なってるのがとても興味深かったです。
また、モンゴルはウラルアルタイ語属なので日本と韓国と語順が同じということ、文章が縦書きな事が日本と近いので親近感が湧いたことを思い出します。



そして、私は全く韓国語が話せなかったので、一番下の級からのスタートでした音譜




クラスメイトも年齢も出身地もバラバラでした。
上は60歳くらいの方。下は20歳そこそこの方。
とっても和気藹々とした雰囲気で楽しかったです。
先生も真面目で熱心な先生でしたので、
日本でいうアイウエオから初めましたが
韓国語の実力もどんどんついて行きました照れ



当時、同じ級のクラスが6クラスぐらいありました。
1クラス7人くらいだったので、およそ40人くらいの同級生がいたのでしょうねウインク



級が上がると、違う同級生とも知り合う事になったり、
知り合いの下宿先にいる他の級の人とも知り合いになったり、
下宿先の韓国人学生とも知り合いになったり・・・・




新村の町を学校が終わったら、昼も夜も
色々と駆け巡ってました口笛口笛



昼はカフェや図書館などでおしゃべりしたり、勉強したりして過ごし、
夜は飲み屋さんで交流〜という日々でしたね・・・(若かったな〜照れ

 

 

 

 

韓国カフェ巡り in ソウル

 


韓国は学歴社会なので、とにかく図書館は平日も休日も席を確保することが大変で、
町の図書館はいつ行ってもどこも空いてないんです。
なので、延世大学の図書館をなんとか確保するか
町のカフェに行く事になってしまいました。



当時、小児科で勤務して貯金したお金だけが留学の資金源だったので、使い果たすと
帰国しなければなりません。
そのため、あまりカフェに行ってお金を減らしたくありませんでしたが、
当時の韓国の下宿は夏は冷房がなく、暑くて日中は勉強ができないので
どうしてもカフェか図書館になってしまうんです。。。えーん


カフェラテで粘って、勉強しましたね〜ちゅーちゅー
(お店の人、ごめんなさい)


そうそう、だから、当時の韓国の下宿は南に窓がないことが多かったんです。



下宿を探すときに、東南の角が日当たりが良いからと思って
探してもなかなか見当たらない、何故??と思っていたのですが、
私が探したのが、秋の終わり頃だったので気がつかなかったのですね。。。



夏になったら、なるほど!!そうか、日差しが多いと暑いから
南には窓がなかったんだ!!私の部屋、昼間は暑すぎる!!
と、後悔しました・・・笑い泣き



夜はというと・・・・
新村という町は、延世大学以外にも梨花女子大、西江大学、弘益大学と、
有名大学が揃っていたので、
新歓時期になると学生で飲み屋さんが埋め尽くされて
あちらこちらに学生が酔っ払って横たわって騒いでいました〜!



特に、延世大学と高麗大学の戦いというのが激しく、
飲み会の会場でもこの二つの大学の校歌を
歌いあって競ってる様子をかなり見かけましたチュー


日本で言うところの「早慶戦」と全く同じ状況です。


延世大学=慶應大学

 

 

高麗大学=早稲田大学

 

 


らしいです照れ



私はと言うと、周りの喧騒を肴に
サムギョプサルが安くて美味しいので、チャミスル飲みながら
韓国語の実践してました〜音譜
(下宿には朝ごはんと夕飯がついていたので、それも美味しくいただいてました。下宿アジュンマ、 懐かし〜。当時はありがとうございました!!)

 

 

美味しい韓国 ほろ酔い紀行 (双葉文庫)

 



寒い時期にはマイナス10度ぐらいになることもあったので、
朝になると夜中の大騒ぎの残骸がそのまま凍ってるのが
面白いな〜と思いながら、毎朝延世大学語学堂に通学していましたデレデレ



その当時、韓国でテレビをつけると「私の名前はキムサンスン」が流行していました。
ヒョンビンとキムソナの主演作です!
ヒョンビンは愛の不時着でおなじみですよね!!

 

 

いつか行きたい朝鮮ガイドブック~これで不時着しても大丈夫~

 

 


今のヒョンビンはクールで大人の色気で溢れていますが、
当時はフレッシュな魅力溢れる演技で、ツンデレレストラン経営者を演じていましたラブラブ
下宿先での楽しい夜のひと時をこのドラマは一役買ってくれました!



1年間の留学を経て、帰国した私は
当時の順天堂大学浦安病院に赴任する事になりました。


留学後は小児科医療に邁進し、専門医を取得する一方
韓国語の実力を落とさないように
その後は独学で勉強していました。




それに一役買ったのがドラマと音楽です。

 

 

 

今までも色々とドラマを見てきたのですが、
最近でとっても面白かったのは
「海街チャチャチャ」ですね〜音譜音譜

 

 



韓国ドラマには珍しく、不幸の連鎖のようなストーリーはないのですが、
主人公の恋愛を軸に
地方の海街の人々の心温まる人間模様を
ときにはユーモラスに、ときにはハートフルに
テンポよく魅せてくれました〜ウインク


(以下ネタバレあるのでご注意を!!)


主人公を演じたキムソンホさんは最近は色々とあったようですが、
ドラマの中での彼は、過去を背負って、それを乗り越えようと
もがいている役柄でした。


一人では乗り越えられなかった重荷を海街の人と海街で出会った運命の人との
ふれあいによって乗り越える様は、きっとドラマを見ている人に感動を与えたと思います。



今のアイレッグの技術も
知り合いの方からのご紹介で知る事になりました。




人生は人と人との出会いやふれあいによって
大きく変わることがあります。
それを教えてくれたのも韓国留学です。

 

 

 

留学前にも順天堂大学浦安病院の先生方にはお世話になってまして、
快く留学をさせていただいた事に今でも感謝しています。
本当にありがとうございました。




そして、医局の運営などにも影響すると思うのですが、
まだまだ未熟な学年の私に留学の機会を与えてくださった
教授、医局長ありがとうございました。




また、復職をさせてくださった教授(現名誉教授)、迎え入れてくださった
当時の順天堂大学浦安病院の先生方にも改めて感謝申し上げます。