「ケーエスシーのブローバックガスガン Cz75 2nd」
【特徴】
※実銃データ(Wikipediaより)
チェコスロバキアにおいて1968年、輸出市場向けに9mmパラベラム弾薬を用いる拳銃を開発することが企画され、フランティシェク・コウツキーは新型ピストルの開発を指揮するためにUhersky Brod社と契約を交わした。 
当初、彼はコンパクトで単列(シングルカラム)弾倉を持つピストルを考えていたが1972年にチェコの産業貿易省は軍や警察の需要を見越して複列(ダブルカラム)弾倉を装着することを設計要件に加えた。
デザインチームはいくつかの試作品でテストを行い、1975年にCz75ピストルが完成した。
手動安全装置(マニュアルセーフティ)はコックアンドロック方式、1980年代のアメリカで「最高のコンバットセミオート」と評判になった。
チェコスロバキアは、当時共産圏であったために、コストパフォーマンスを第一に考える必要がなく、強度のある最高級のスチール削り出し加工で部品を薄くすることができた。
これに人間工学的な設計を加えることでグリップ形状に特徴を持たせ握りやすさを向上させている。
チェコスロバキアは政治的に東側の一員だったが西側諸国にも多数が輸出され品質の割に値段が安い優秀な自動拳銃として評判を高めていた。
現在でも前期型は高価で取引されている。
前期型の成功により受注が増えたCz75は生産性を上げるためにいくつかの変更を行った。 
2ndモデルとも呼ばれるカナダ輸入モデルはエナメル塗装仕上げになっており、輸入代理店の名からバウスカ・モデルとも呼ばている。
製造過程を削り出しから精密鋳造へ変更し、これによる強度の低下のためスライドとフレームの形状を若干変更している。
グリップパネルは人間工学的に優れたデザインに変更、他にも前期型にはなかったハンマーのハーフコックポジションが追加された。
これに伴い重量もやや増加しデザインも多少変化している。
これ以降に登場したモデルは後期型のデザインを基にしたものとなっている。
東欧民主化後、チェコスロバキアからチェコ共和国へと製造国の政治形態は変化したが、Czで生産は続けられ世界市場に向けてさまざまなバリエーションが作られている。

※ガスガン

複数のメーカーからモデルガンやガスガンが販売された。
モデルガンはマルシンからABSのみの販売されたがマガジンがリアルサイズではない。
旧MGCのCz75 2ndのスライド固定ガスガンの流れをくむKSCからは1stモデル、2ndモデル共にABSとHWが販売された。
刻印はレーザーでリアルで綺麗、バレルとトリガーのメッキも美しい。
最新鋭のシステム7というエンジンを積んでいて性能はもとより反動も強い。

【予定】
・スライド、フレームのブルーイング。
・金属パーツのブルーイング。

 

ペーパー2000番手、スポンジヤスリ3000番手で磨き終了。


ヘビーウェイトのブルーイング完了。

金属パーツのブルーイング完了。

完成。
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