教会で、「Generosity(寛大さ)」についての
トピックが取り上げられていました。
寛大さと聞くと、
思い浮かぶ人は、真っ先に夫です。
夫は寛大だと思います。
ある日、車で走っている時に、
ある車屋さんの看板が目に留まりました。
英語で書いてあるその意味は、
「ただ(寄付する)であげたいんけれど、妻が賛成しないんだ。」
という文言があって、つまり、車の買い取りの広告だったわけです。
つまり、(夫が車をただ手放すなんて言ったら、きっと妻は反対するでしょう)妻が喜ぶような買い取り価格を付けます!という宣伝文句だったんですね。
これを見たとき、面白い広告だなと思うと同時に、
私と夫みたい!とも思いました。
夫は、金銭的な面での寛大さは、
私より遥かに先に行っているなと思います。
自分ひとりだったら、
間違いなく抵抗してしまうような
かなり、かなり大きい金額を
ポーンと渡せる。
ポーンと寄付できるんです。
そんな夫を見て、
もっと寛大になれるようにしてください
というのは私の祈りでした。
神様は、この部分、クリスチャンになりたての13年前のケチ臭い私と比べると、夫の寛大さを通して、ずいぶんと私を成長させてくれましたが、まだまだ成長できると思います。
さて、冒頭の話に戻ります。
今回、教会のメッセージで取り上げられていたトピックは、時間の寛大さだったんですね。
時間を人のために使うという寛大さについてだったんです。
お金ではなく。
その時、私は、
自分は確かに、時間にものすごく寛大だって気づいたんです。
教会での様々な活動、イベント、またその他諸々、膨大な時間を捧げてきたなと気づきました。
教会だけでなく、家族にも。
他人にも。
相当な時間を使ってきたと思います。
そして、そのことを夫に話したら、
僕は、時間にはあまり寛大でないと思うと言っていました。
私は、寛大さと聞くと、
いつも夫のようにできない私は、
寛大さが足りない!
ってどこか思っていたんですね。
そうやってどこか自己非難があったんです。
でも、私は時間に対してのものすごい寛大さがあったって気づいたときに、
みんなそれぞれ、色々と得意な面、そうでもない面がある。
すでにうまく咲かせている時間への寛大さはそのまま伸ばしていく。
そして、もっともっとこれから育てていけそうな金銭面での寛大さはこれから成長していけばいいだけ。
何も自己非難する必要皆無。
夫も素晴らしい。
私も素晴らしい。
という思いがポーンとやってきました。
聖霊の導きがすごくあったなと思います。
心がすうっと、
平安が流れました。
夫婦は二人で一つ。
比較じゃなくて、
優劣じゃなくて、
ただ違いを楽しみながら、
互いに高めあっていく。
って気づけました。
夫のすでに豊かに持っている金銭に対する寛大さを尊敬し、
自分のすでに豊かに持っている時間に対する寛大さを感謝し、これからも成長していきます。
感謝☆