神様の面白いところ。
神様は神様を愛する人を
特別扱いするけれど、
私特別扱いされているんだ!
って得意げになったり、
まだ神様のことを知らない人を
裁いたりしたら、
ただじゃおかないよ!
ってはっきり言っている。
私の大好きな聖句の一つ。
マタイ7章1節
人を裁くな。
あなたがたも裁かれないようにするためである。
人を裁いちゃいけない。
つまり、人の価値を裁かない。
人の行為は裁かれる。
悪い行い、
人を傷つけること、
人を乱暴に扱うこと、
全部裁かれる行為。
けれど、人は、
神様の尊い宝物であり、
尊い存在であることは、
行為とは関係がない。
何か間違いを犯す。
間違いは、間違いとして
裁かれる。
でも、そこから、
あいつはダメな人間だ。
あいつは価値がない。
とすると、神の域に入り始める。
間違った行動、
誤った行動、
愛のない行動は
世の中には沢山ある。
ただし、人の価値は、
行為と関係なく変わらない。
ここで多くの人がつまずく。
人の行為、
自分の行為を見て、
人を裁き、
自分を裁く。
人を貶め、
自分を貶める。
人を憎み、
自分を嫌う。
神様の敵は、
人間が自己否定し、
憎しみと嫌悪の中に、
進み続けるのを
大歓迎する。
そこには愛がない。
敵は大喜びする。
神様は、
全ての裁き主。
神様はすべての人の
創造者。
細部のデザインも、
母の胎にいる時から、
一貫して、
全て創造者が緻密にデザインする。
人の口出しはできない。
創造者は、人を造るも、
洪水で流すもできる。
神様だけが唯一の裁き主。
神様だけが人を裁き、
人の行方を決められる。
けれども、
人は、造られた分際。
人間の分際。
人の分際にどこまでも留まる。
人に対しても、
自分に対しても、
徹底的に
裁きを締め出していく。
神の役割をしようとすることは、
傲慢そのもの。
愛の中に生きていく。
神に頼って生きていく。
へりくだって、
自分の分際に留まって、
丁寧に生きていく。
すると聖霊がどんどん
流れてくる。
感謝。
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