おはようございます。
今朝は詩篇の83篇を読んでいました。
この83篇の最後18節にこのような言葉があるんですね。
こうして彼らが知りますように。
その名が主であるあなただけが
全地の上におられるいと高き方であることを。
( 詩篇 83:18 JDB )
私は改めて、あなただけがという、
「だけ」というところに注目したんです。
神様だけがいと高きある方である。
神様だけが最も素晴らしい。
神様だけが一番賛美にふさわしい方。
もう聖書には、ありとあらゆるところに、
賛美のトークがちりばめられていますよね。
預言者たちによる賛美も旧約聖書にたくさんあります。
また、新約聖書の使徒たちによる手紙にも、とにかく神様の賛美に溢れていますよね。
つまり書いてあることって神様すごい。すごい。すごい。
もう、これだけをひたすら言っている聖書箇所って、たくさんあると思います。
歴史的な事実とか。
時代背景の説明とか。
また神様がどのようにしてこの世界を造ったのかという時系列的な説明とか。
また救い主イエスによる働きや彼の言葉。
これからどんなことがこの世界に起きるのかという最終予言などなど。
たくさん聖書には書かれています。
そして漏れずに、神様への賛美、神様すごいよね!っていうこの部分も本当にたくさん書かれているんですね。
そして私が1つ思うのは、
人間っていうのは本能的にこの誰かだけがすごいよねっていうものに対して、あんまり受け入れることができないところがあると思うんです。
えっ!?私もすごくありたい!とかね。
承認欲求っていうのは、人は誰でもあるもの。
自分も認められたい。自分も大切に扱われたいとかね。
そういう思いって誰しもが多かれ少なかれ持っていると思うんですね。
だから神様であるのに、まるで神様と自分を比べて、私も私も神様みたいにすごいすごい!って思われたいっていう・・・そういう欲求が出てきても、別におかしくはないんと思うんです。
すごく人間らしいと思います。
でも、まるで自分も神様のようでありたいという思いが、結果的に神様を神様扱いできなくなってしまうっていう罠に陥ってしまうことがあるんです。
これってとても残念なことだなって思います。
だって、え、神様だけ特別とか嫌だ!ってなった瞬間にシャットダウンしちゃうから。
💦
こういうのって、神様っていうお方を、根本的に誤解してしまっているからなんですね。
神様っていう方はどういう方かって言うと、
私たちのことを、愛して愛して愛して愛して止まない方なんですね。
私たちに猛烈ラブコールを送り続けている方なんです。
あなたは素晴らしいよ。
すごいよ。
ってめちゃくちゃ言っている方なんです。
神様が私たちのために命を捨てるほどまでに愛してるんですね。愛の大きさがでかすぎて、理解できないくらいにです。
もうその愛っていうのが、この世のどの愛にも勝る猛烈な愛で、私たちを愛し続けている方なんです。
♡♡♡
今この瞬間もです。
で、この世で最も大切なこと、世界で一番大切なことは何かって言うと、愛なんですよね。
愛することっていうのが最も大切なことなんです。
けれども、私たち1人1人は。どうも完全な愛ではないんですね。それはどうしてかって言うと、いろんな人生の中で傷ついたり、葛藤したり、悩んだり、つまずいたり。
愛にいろんなところで失敗しているからなんですね。
けれども、それでも私たちはやっぱり愛したいし、愛を求めているわけなんです。
それでグッドニュースっていうのが完璧にまで愛に失敗してない。完璧にまで愛でしかない。愛そのものが神様なんです。
だからその神様ってすごいよね。
っていう話なんですよね。
完璧な愛の神様ってもうすごい。
すごい。賛美しかないよね。
っていう話なんです。
これは比較とかじゃないんですね。
ただただ神様の愛は完璧で、完璧だからこそ、今この瞬間も完璧な愛に降り注いでいて、完璧な愛に守られていて、導かれているよっていうことなんです。
しかも24時間365日。休まずです。
私たちが寝ているとか、起きているとか関係なく。
だから素直に、神様ってすごいねっていうこと。
そしてそんなすごい神様に、個人的に愛されていて、祝福をたくさん受け取るって、もう感謝しかありません。
ということなんです。
そうやって、ワクワクして、喜びで生きていけば大丈夫なんですよね。
改めて今日1日命を与えてくださり、太陽を昇らせてくださり、そして生きる活力や家庭を全て整えてくださり、必要なものを与えてくださってる神様に感謝して、生きていきます。
読んでいただいてありがとうございました💛✨
祝福☆