献金って、

神様に捧げること。

 

けれども、

この献金について、

なかなか抵抗が抜けない人がいる。

 

聖書は2千年も前に書かれたのに、

お金と神様の関係のこと、

今の時代の人にもわかるように、

はっきり書いてある。

 

献金に抵抗するとき、

多分、めちゃくちゃお金を見ている。

そして、お金の行方を見ている。

 

お金の行方って、

○○代みたいなことを見ている。

 

パンフレット代に使われるのはいいけれど、

おかし代に使われるのはいいけれど、

○○代に使われるのは、ちょっと違うとか。

 

そうやって、

お金の使い道をあれこれ考える。

 

こういうのって・・・。

 

家計簿と同じ。

 

公私混同。

 

 

 

神様に渡す献金って、

【信頼】が不可欠。

 

どこの誰が教会を運営しているとか。

あの教会はサポートしたくないとか、

この教会を応援したいとか。

 

あの牧師はどうとか、

この牧師はどうとか。

 

こういうのって、全部・・・。

 

私がどういう風にお金が使われるのがいいのか、

一番よくわかっていますので、

神の国拡大のためのお金も。

私が自分の能力で測って、

仕切らせていただきます。

 

って言っているのと同じだったりする。

 

献金を捧げるのは、

牧師が献金の話をしたからとか、

そんな話ではなくて、

 

神様と自分との個人的な礼拝。

 

 

与えられているお金が、

まるで全部自分のもののように勘違いして、

その中から一部を献金として捧げます

みたいな方向だと、

 

まるで、神様に、

これだけ恵んであげます。。。

みたいな随分と上からの態度になっている。

 

でもね。

 

本当は、そうではなくて、

与えられているもの。

お金も、結婚も、子供も。

全部が神様のものなの。

 

最初から。

 

全部神様のもの。

 

ただ、寛大で、

与えまくりの神様が、

この地上で豊かに生きるために、

どうぞって管理を任されているだけ。

 

だから、元々神様の持ち主のお金を、

神様の元に戻す。

 

むしろ、神様、

残りを自由に使わせてくれて、

ありがとう。

 

って。

 

全部自分のものを一部神様に渡す。

じゃなくて、

全部神様のものを一部自分が使わせてもらう。

 

 

だから、

献金は、当然喜んでやるもの。

 

心から、喜んで。

 

神様、

こんなにも豊かに、

私に与えてくれてありがとうございます。

 

心向くままに、

神様に捧げたいお金があるんです。

 

神様、御国拡大のために、

使ってください。

 

堂々と捧げます。

 

神様がどのように用いられるのか、

全信頼していますから。

 

って感じで。

 

ちなみに。。。

 

献金に寛大になると、

本当にお金から解放される。

 

あ、やっと主人が、

神様一人になったって感じ。

 

お金から解放されると、

もっともっと主との自由な交わりができる。

 

感謝☆